女子大を「時代錯誤の男性差別」だと訴えるウルトラCは、女子大の必要性を逆説的に証明している

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 実際、7月10日の会見でも「共学化の予定は?」との質問が出ているが、それに対して室伏学長は<何十年も後に、社会が変わったときには共学化もありえるかもしれない>と遠い未来の可能性については留保しつつも、<ご存じのように、女性が社会で男性と同等に暮らせる現状ではない。いわゆるアンコンシャスバイアス(無意識の偏見)から解放されるのは、女子大でと考えている>と明確に否定した。

 なかなか増えていかない女性管理職の問題、福田淳一事務次官のセクハラ報道に象徴的だった職場における女性の不遇な立ち位置の問題など、室伏学長が語っている通り、日本社会のなかで女性に対する差別や偏見はいまだに色濃く残り続けている。固着したジェンダーのステレオタイプから自由に学ぶことができるよう共学にはしないという室伏学長の考えは、現状の日本社会の実相を見る限り多くの点で納得できるものがある。

 しかし、記事のなかで樫原氏は、そういったお茶の水女子大側の主張を<むしろ逆だ>と一蹴し、<女子大はこれらを口実に既得権益にしがみついているにすぎない。女子大が自らの存在について言挙げしたのだ。この際、当たり前と思われていた女子大の必然性を問おうではないか>と述べる。

 これでコラムはここで終わっているため、具体的になにを<既得権益>としているのかはわからないが、以上見てきた通り、「「おかま」はよくて「男」はダメ お茶の水女子大の「差別」」というコラム自体に、LGBTおよび女性に対する差別や偏見の感情が横溢している。まさにこのコラムの存在が、女子大学の必要性を逆説的に証明しているといえる。

 それにしても、社会的な議論となった杉田水脈議員によるLGBT差別原稿の次の号でまたもやこのような差別的な原稿を載せるというのはいったいどういうことなのだろうか? 多様な価値観を認め合う社会づくりに向かって動いているなかで、差別的感情を強化させるような記事を連続して掲載する方針には、社会の公器たるメディアの姿勢として疑問を差し挟まずにはいられない。

(倉野尾 実)

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