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りゅうちぇるのタトゥーは、何のタブーに触れたのか? 沖縄とタトゥーの歴史

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りゅうちぇるInstagramより

8月21日、タレントのりゅうちぇるさんがInstagramで妻・ぺこさんの名前と、7月に生まれた子どもの名前をデザインしたタトゥーを両肩に入れたことを公表したところ、インターネットだけでなく芸能界でも賛否が分かれる大論争となりました。外国人観光客の増加など、日常的にタトゥーを目にする機会も増えた今、なぜりゅうちぇるさんのタトゥーは批判を呼ぶことになったのでしょうか。『イレズミの世界』(河出書房新社)、『イレズミと日本人』(平凡社)などイレズミに関する研究を長年おこなっている都留文科大学教授・山本芳美さんにご寄稿をいただきました。

感情的な反発を引き寄せるイレズミ・タトゥー

 筆者はほぼ30年間、イレズミ・タトゥーについての研究をしてきた文化人類学者だ。台湾や沖縄、東京のイレズミの歴史研究が専門領域である。日本では研究者が少ない分野であり、2010年ごろから、マスコミや学生から取材を受けることが多くなっている。2013年の東京オリンピック招致の決定以降は、夏前から8月半ばにかけてインタビュー依頼が続く。これは、街を行きかう人の肌の露出が多くなるにつれて、イレズミを意識するようになるからだろう。

 2018年の夏も読売新聞、日本経済新聞から取材を受け、インタビュー記事がサイトに掲載された。本紙掲載から数日後、yahooのヘッドラインに転載されると、瞬く間にコメント欄が埋まった。日経のyahoo版記事に対する原稿執筆時の2018年8月31日の時点でのコメントは3545件で、コメントの多くは、元サイトよりも派手に関心を引くようにつけられた見出しに反応していた。

 数にすれば100ほどのコメントに目を通すと、心がざわついた。コメントが「好き、嫌い」のレベルで反応していたからだ。これで筆者の本が、コメント数に比例して売れてくれれば「バンザイ」なのだが、コメントした人々は本を買ってまで歴史を知る気はなさそうだ。イレズミ・タトゥーの話題は、感情的な反発を引き寄せるのである。

 この原稿も、タレントのりゅうちぇるさんが奥さんとお子さんの名前を彫ったことをInstagramのstoryに投稿したことで巻き起こった賛否をきっかけに依頼を受けた。原稿依頼の当日には、ある新聞の電話取材も受けている。

 なぜ、彼がタトゥーをし、どうしてInstagramで反発を受けたことに対して意見を表明したのだろうか。本稿では出身地の沖縄という角度から考えてみたい。「自分はやらないが、その意思は尊重すべき」という肯定や賛同よりも批判の方が上回るように見えるのは、感情的な反発だろう。「プールや海水浴、温泉にも連れて行ってあげられないなんて、親としてかわいそう」との書き込みが相次いだ。

 筆者は、渦中のりゅうちぇるさんとぺこさん夫妻について、ほとんど知らない。かろうじて知っているのは、ユニークでかわいい着こなしとお化粧。2017年に21歳で結婚して、お子さんも授かったという話ぐらいだ。

 ファンの批判的コメントに対するしての説明のなかで、りゅうちぇるさんは「僕のお父さんも、僕が生まれたとき 背中に 龍 (ドラゴンの絵) を入れました。僕は一度も嫌な思いをしたことがないし 嬉しかったです。~中略~ だから、僕自身、偏見もなにもありませんでした」とInstagramに2018年8月21日に書き込んでいる。

 改めて調べると、りゅうちぇるさんは沖縄本島の中部出身であったりゅうちぇるさんの発言から、沖縄のイレズミの歴史が浮かび上がってくるのだ。

沖縄のタトゥーと和彫り

 ご存知の通り、中部には米軍基地と関連施設が多い。基地のそばには、軍人向けの店がつきもので、横須賀基地そばに終戦直後からタトゥースタジオがあったように、沖縄にも戦後の軍政府時代からスタジオが営業していた可能性がある。Tシャツが季節を通じて定番ファッションの沖縄では、イレズミ・タトゥーはよく見かけるもので、見慣れていたはずである。

 和彫りに関しても、1990年頃から沖縄本島で彫られるようになっている。漫画家であり彫師でもあった凡天太郎氏(1929~2008)が1990年頃に沖縄に移住し、「梵天肌絵塾」を設立して彫師の弟子も育てている。凡天太郎氏によれば、自身の移住が沖縄に本格的な和彫りが定着するきっかけになったのだという。

 和彫りとタトゥーのどちらかにしろ、りゅうちぇるさんの生まれた頃にお父さんは、すでに沖縄に定着していた図柄を背負った可能性が高い。

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