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『検察側の罪人』、突然登場する安倍政権揶揄やインパール作戦の描写に観客は当惑?

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 原作からの大胆な改変には出演者もいささか困惑したのかもしれない。たとえば、映画公式パンフレットに掲載された木村拓哉の発言からもその痕跡がうかがえる。

<原作にはない“インパール作戦”という戦争の要素を、原田監督が脚本のなかに練り込んできていて、正直驚きました。僕の考えでは、監督に膨大な量の知識があって、そのなかでもこれは監督個人において、一つの情報として置いておくことは許せない事項だったんじゃないかと思ったんです。その姿勢は今回のストーリーともリンクしているんですけど、要するにいまの社会にあって、ダメなことに目をつぶろうと思えばできますが、絶対そうしないぞという意志表示。それを脚本から感じましたね>

 その一方、原田眞人監督自身は「キネマ旬報」2018年8月下旬号のインタビューで「今の日本が危険な状況下にある以上、現代社会を反映させた要素を僕はどんどん打ち出していきたい」と、映画のなかに現実の日本社会を風刺する内容を入れた理由を説明していた。

 原田監督といえば、2002年公開『突入せよ! あさま山荘事件』や、2015年公開『日本のいちばん長い日』のリメイクなど、政治的な映画を製作してきたキャリアがある。なので彼の作品のなかに、上記のような社会的トピックが入ってくることは不思議ではないのだが、観客を困惑させてしまうほど露骨かつ強引に入れざるを得ないほど、現在の日本が置かれている状況に危機感を抱いた背景には原田監督の生い立ちに関係があるのかもしれない。

 終戦当日に政府内で起きていたカオスな状況を描いた映画『日本のいちばん長い日』公開時に「週刊金曜日」(金曜日)2015年8月7日号のインタビューに出演した原田監督は自らの生い立ちについて語っている。

 原田監督の父は終戦当時、特攻基地のあった鹿児島県の知覧で塹壕彫りをしていた。知覧は終戦が8月15日より遅れていたら一番最初に激戦の最前線となっていた可能性の非常に高い場所である。原田監督は1949年7月に生まれているが、もしもここで父親が亡くなっていたら、彼の運命は大きく変わっていたのだ。

<あそこで戦争を終結していなければ、九州上陸作戦が行われていました、うちの親父は当時19歳で、九州にある特攻基地・知覧の近くで塹壕彫りをしていましたから、もう最初に殺されてたはずです。僕はその4年後に生まれてるから、自分にとっても重要な話だと思っていました。それがこの映画をやりたかったもう一つの大きな動機です>

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