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カッコよすぎる53歳・吉川晃司の俳優活動を徹底検証

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2012年に発売された『別冊カドカワの本 愚 日本一心 吉川晃司』(角川マガジンズ)

 この8月、ミュージシャン・吉川晃司(53)の、西日本豪雨の被災地における一連の行動が話題を集めた。特に事前に告知することなく現地に赴き、黙々と汗を流している姿が目撃され、結果的に多くの人に知られることとなったのだ。

 被災地に報道陣を引き連れてボランティア活動を行うタレントが目立つなか、その姿勢はSNSなどで「カッコいい!」「ファンとして誇りに思う」などと称賛された。

 しかし、本人はこれを受けて自身のモバイル会員向けサイトで、「ボランティアって、マスコミ同伴で炊き出しするもよしじゃない? 被災地の状況を発信しながら関わるもよしじゃない? 人それぞれ思う形は違うしね」とコメントを発表し、ますます株を上げることになった。

「正義感が強く、正しいと思ったことを行動に移す。広島出身で被爆二世ということもあって、核問題、原発問題には強い関心を持ち、それに関する発言もする。また、原爆の悲惨さを訴えたドキュメンタリー番組に出演するなどもしています。今はあまり主義主張をしないミュージシャンが多いなか、そのあたりも正直、カッコいいですよね」(レコード会社関係者)

 ここでは、今改めて“カッコいい男”として注目を浴びている53歳のロックスターのもうひとつの顔について取り上げたい。

 吉川晃司というエンターテイナーの大きな特徴は、音楽活動と並行して俳優活動も精力的に行っていることにある。

 矢沢永吉が映画やテレビドラマに担ぎ出されたこともあれば、布袋寅泰にも演技の経験がある。故・忌野清志郎も映画に出演し軽妙な味を出していた。だが、それらは単発的なものだ。

 足掛け30年以上に渡り、武道館を満員にできる現役第一線のロックミュージシャンであり続けながら、メジャーな作品を中心に俳優業を続けているというのは稀有な例だといえる(ブランクはあったが)。

 もちろん「いや、福山雅治がいるではないか」という反論もあるだろうが、「福山の楽曲はロックなのか?」というややこしい問題を抜きしても、そもそもまだギリギリ30年経っていないことを確認しておきたい(福山は、1988年11月公開の映画『ほんの5g』で俳優デビュー)。

【1980年代】新人時代から3本の映画に連続主演。役名は「民川裕司」

 1980年代初頭、広島で水球をやりながら、アマチュアのバンドで活動していた高校時代の吉川晃司には、スターを夢見て大手芸能プロ「渡辺プロダクション(以下・ナベプロ)」に自らを売り込んだといわれている。といっても、履歴書やデモテープを送ったのではなく、広島の女子高生を騙り、「広島に凄いヤツがいる」という内容の手紙を送り続けたのだ。

「ナベプロといえば、1960~70年代に『ナベプロなくしてテレビ番組は作れない』といわれるほど圧倒的な勢力を誇っていましたが、所属タレントの高齢化、引退、独立などがあり、1980年代になるとパワーダウンしていた。新時代のスター育成に取り組んでいたこともあり、その手紙に興味を示し吉川と接触。結果的にスカウトするんです」(スポーツ紙記者)

 吉川が数ある芸能プロのなかからナベプロをターゲットとした理由は、「沢田研二、アン・ルイスが所属しており、また、ほかを知らなかったから」だといわれている。

「上京した吉川は自己主張が強く周囲に反抗的だったといいます。ですが、ナベプロの創業者として絶対的な権力を持っていた渡辺晋さんはそんな彼を逸材だと見込み、社をあげて売り出す方針を決めるのです」(前出のスポーツ紙記者)

 1984年2月、18歳の吉川は、それまでに数多くのスターを育て、“芸能界のドン”と呼ばれた人物の全面バックアップでデビューした。

 本人の指向もありビジュアルや楽曲、パフォーマンスはロックミュージシャン風のそれであった。だが、1980年代はアイドル黄金時代。半ばアイドル的な売り出し方もなされ、音楽番組に限らないテレビ番組への出演や、「明星」(集英社)、「平凡」(平凡出版/現・マガジンハウス)などのアイドル雑誌への露出が積極的に展開された。

 また、デビューに際し“大型新人登場”をイメージ付ける売り出し策が、主演映画の製作である。

 レコードデビューと同時期に公開された主演映画『すかんぴんウォーク』(1984年/監督:大森一樹)は、スターとして成功を夢見る若者の物語。吉川自身のそれまでの歩みをトレースする部分もあり、かつ水泳の場面やデビュー曲「モニカ」を歌うシーンもあり、大型新人のプロモーション映像の体裁をなしている。しかも、主人公の名前は「民川裕司」というものだった。

 なお、同作は、今でもアニメ史に残る傑作として名高い『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』(監督・脚本:押井守)と二本立てだったため、現在40代後半以上のアニメファンの多くが“『すかんぴんウォーク』を劇場で観た”という記憶を共有している。

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1984年公開の『すかんぴんウォーク』。傑作である。(写真はザ・ワークス発売のVHS版ジャケット)

 ナベプロが総力をあげたプロモーションもあり、吉川は短期間でブレイク。そして、その後も同じ民川裕司が主人公の『ユー★ガッタ★チャンス』(1985年/監督:大森一樹)、『テイク・イット・イージー』(1987年/監督:大森一樹)という続編映画が年に一度のペースで公開された。

「ヒット曲を連発しスターの座を勝ち得た吉川は、デビュー数年で自作曲を歌うようになったりとアーティスト指向を強めていきます。ただ、まだナベプロが敷いたレールを走っていることに変わりはなく、吉川ありきで用意された映画に出演していた。後の本人のコメントによると、俳優業がイヤだったということではなかったようですが」(芸能プロ関係者)

 とはいえ、1985年には『紅白歌合戦』のステージでセットを破壊するなどのゲリラ的なパフォーマンスを披露しNHKを出入り禁止になるなど、アイドル的な扱いへの反発があったのは明らかだった。

「デビュー数年でナベプロからの独立を強く希望するようになっており、そのことを渡辺晋さんにも嘆願していたようです。これに対し、渡辺さんは独立の条件として、自らが製作総指揮となった日伊合作映画への出演を命じたといわれています。すでに多額のお金を集めて、企画が進行していたこの映画を頓挫させるわけにはいかなかったのでしょう」(前出のスポーツ紙記者)

 ところが、吉川を主演に据え、国際スター・三船敏郎も担ぎ出した社会派サスペンス作『シャタラー』(1987年/監督:トニーノ・ヴァレリ)の制作途中で、渡辺は他界してしまう。

 このことが影響してか、監督は吉川の出番を削り、イタリア人俳優が主役のような内容に改変してしまうのだ。そして、内容的にも興行的にも残念な結果に終わった同作の公開後、吉川は22歳にして念願の独立を果たしたのだった。ただし、ナベプロの子会社という円満なかたちをとり、吉川は今に至るまで恩人である渡辺の墓参を欠かしていないという。

 しばらくの活動休止期間を経て、1989年には友人である元BOOWYのギタリスト・布袋寅泰とのユニット「COMPLEX」を結成。セールス的に大成功を収めた。布袋との夢のタッグは、吉川の脱アイドルを完全にイメージづけた。

 ただし、COMPLEXはテレビに出演することが極めて少なく、吉川は俳優活動をストップさせたためメディアへの露出は激減。世はバブル絶頂期ながら、吉川が当時流行のいわゆる“トレンディドラマ”に出演するといったことはなかった。

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1989年に東芝EMI(当時)より発売されたCOMPLEXのアルバム『COMPLEX』

◎吉川晃司の俳優としての出演作一覧〈80年代〉
(★は主演作)

1984年
映画『すかんぴんウォーク』(配給:東宝)★

1985年
映画『ユー★ガッタ★チャンス』(配給:東宝)★

1986年
映画『テイク・イット・イージー』(配給:東宝)★

1987年
映画『シャタラー』(配給:東宝)★

【1990年代】COMPLEXは確執から早期活動休止。俳優活動も長い休止期間に

 吉川と布袋の蜜月期は長く続かなかった。活動を続けるにつれ双方の考え方の違いから両者の間には大きなミゾが生まれてしまう。そして、1990年11月の東京ドーム公演を最後に事実上の解散。
 
 25歳になった吉川は、ソロアーティストとして再出発した。

「COMPLEXの活動を経たことで男性ファンが増え、盤石な動員力を誇っていました。CDのセールスは徐々に落ちていきますが、音楽面は充実していました。ただし、1990年代はまるまる10年間、俳優活動から遠ざかることになります」(前出のレコード会社関係者)

 また、1998年には所属事務所スタッフの金銭にまつわるトラブルから、個人事務所「アクセルミュージックエンターテイメント」を立ち上げた。自らが経営者となり、完全独立が果たされるのだ。

【2000年代】俳優業再始動でやくざ、サラリーマン、刑事、医師、西郷隆盛を演じる

 デビューから15年以上経った2000年、35歳にして俳優・吉川晃司が復活した。馳星周の小説を原作とした映画『漂流街 THE HAZARD CITY』(監督:三池崇史)に助演を果たすのだ。演じたのはニヒルなやくざの役だった。

 これをきっかけに、何かのスイッチが入ったように以後の吉川はコンスタントな俳優活動を展開していく。

「スイッチを押したのは三池崇史監督かもしれません。吉川は翌年の三池作品『天国から来た男たち』では主役を演じている。また、同監督にMV制作を依頼するなど親交が続くのです」(前出のレコード会社関係者)

『天国から来た男たち』には主演したが、以後の吉川は『漂流街 THE HAZARD CITY』で演じた“主役ではないが重要な役”が定位置となる。存在感が求められるサブキャラクターを演じられる俳優として重宝されるようになっていくのだ。

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2001年に公開された映画『天国から来た男たち』DVD版のジャケット(販売:ケイエスエス)

 2002年には初のテレビドラマ『真夜中は別の顔』に出演。吉川をテレビに引っ張り出したのは、なんと因縁のあるNHKだった。NHKはその後も、『天地人』(2009年)、『八重の桜』(2013年)と大河ドラマで2度起用するなど、俳優としての吉川を高く評価している模様だ。ちなみに、上記2作品で演じた役は、織田信長と西郷隆盛。やはり、“主役ではないが重要な役”なのだ。

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2009年公開の映画『仮面ライダー×仮面ライダーW&ディケイド MOVIE大戦 2010』DVD版のジャケット(販売は東映)

 2004年には『レディ・ジョーカー』(監督:平山秀幸)で刑事を演じ、2008年にはミュージカルに初挑戦する。さらに、『やじきた道中 てれすこ』で時代劇に初出演。2009年には仮面ライダー(に変身する人物)まで演じアクションを披露した。

「若い頃の映画出演は、若さで押し切れたので演技力は二の次といってよかった。そこから10年以上のブランクがあったわけで、演技者としての吉川晃司の実質スタートは2000年代からといっていい。35歳を過ぎて各作品でいろいろな役を演じることで、俳優として大きくスキルアップを果たしたように思えます」(映画雑誌ライター)

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2009年に発表されたアルバム『Double-edged sword』(ァー・イースタン・トライブ・レコーズ)

◎吉川晃司の俳優としての出演作一覧〈2000年代〉
(★は主演作)

2000年
映画『漂流街 THE HAZARD CITY』(配給:東宝)

2001年
映画『天国から来た男たち』(配給:日活=ハマーズ)★

2002年
テレビドラマ『真夜中は別の顔』(NHK)

2003年
映画『やくざの詩 OKITE 掟』(配給:東映)

2004年
映画『レディ・ジョーカー』(配給:東映)

2005年
映画『大停電の夜に』(配給:アスミック・エース)

2007年
映画『やじきた道中 てれすこ』(配給:松竹)

2008年
映画『チーム・バチスタの栄光』(配給:東宝)
ミュージカル『SEMPO~日本のシンドラー 杉原千畝物語~』★

2009年
映画『仮面ライダー×仮面ライダー W&ディケイド MOVIE大戦2010』(配給:東映)
TVドラマ『天地人』(NHK)

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ミゾロギ・ダイスケ

ライター・編集者・昭和文化研究家/映画・アイドルなど芸能全般、スポーツ、時事ネタ、事件などを守備範囲とする。今日の事象から、過去の関連した事象を遡り分析することが多い。著書に『未解決事件の昭和史』(双葉社)など。

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