――虐待を受けた「わたしたち」に残ったものとは? よじれてしまった家族への想いを胸に、果たして、そこに再生の道はあるのだろうか。元・被虐待児=サバイバーである筆者が、自身の体験やサバイバーたちへの取材を元に「児童虐待のリアル」を内側からレポートする。
【本記事は、「サイゾーpremium」にて2017年12月30日に掲載された記事を転載したものです】
連載第4回「“包丁恐怖症からの逃避行”編」
「ロティは、肉をあぶったり蒸し焼きにすること。ピカタは、小麦粉と卵をまぶして焼いたもの。最近老人ホームでめちゃくちゃ料理してるから、こういうの詳しくなっちゃうんだよね」
東京・渋谷区内の美術館に併設されている小洒落たレストラン。メニューをのぞきこみながら、ちょっと得意げに教えてくれたのは、介護職勤務のモーちゃん(仮名・26歳)だ。切れ長の目で話し方もクールな印象だが、笑うとえくぼができて、とたんにチャーミングになる。恋人が選んでくれたという柔らかな素材のスカートがよく似合っていた。
認知症高齢者グループホームに勤務。今でこそ一度に20食もの料理をつくることがあるというモーちゃんだが、実は社会人になるまで「包丁」にほとんど触れることができなかった。それどころか肉眼で直視することもできなかったという。「母親に包丁を向けてくる映像が蘇ってきて、とにかく怖かった」とモーちゃんは当時を振り返る。時には片腕が突然麻痺し、ダラリと垂れ下がったまま動かなくなることもあったらしい。彼女もサバイバーだ。母親の顔はどうしても思い出すことができない。
「食」と「虐待」は、サバイバーにとって密接な関わりがある。心の葛藤から拒食症や過食症に陥るケースもあれば、食事と体罰がセットになった結果、食事の時間になると吐き気をもよおす子どもいる。わたしもそうだった。モーちゃんの場合は、食事を与えてもらえなかったという、ネグレクトと身体的虐待の併合型である。彼女が「食」を心から楽しめるようになったのは、何がきっかけだったのだろう。
「ごはん」を獲得するために必死だった
父は会社員で母は専業主婦、弟と一緒の4人家族。幼少期は、首都圏のとある住宅街にあるマンションで暮らし、ダイニングにはシャンデリアとカウンターキッチンのある今風のつくりだったという。
「写真を撮るのが父親の趣味だったから、家の中には引きのばした写真がたくさん飾ってあったよ。朝日に照らされた富士山とか、わたしたち子どもの写真もあったかな」
いかにも幸せな“家族の城”といった様子だが、父親の不在時、そこは恐怖の館に変わる。母親から、「放課後は遊ばずに帰宅して、皿洗いなどの家事を手伝うように」と命じられていたモーちゃんだったが、キッチンから呼び出されたときに少しでも返事が遅いと、厳しい罰が待っていたのだ。髪の毛を引っ張られながらフローリングの床を引きずられ、蹴ったり殴られたりしたという。頭をぶつけた床の硬い感触は忘れない。モーちゃんの両足には少し麻痺があったが、容赦はない。母親の気がおさまると、無言で夕食の準備を手伝ったそうだ。
どんな理不尽な理由であれ、まだ10歳にもならない子どもにとってオトナの裁きは絶対だ。特に親のつくった“法律”には必死で合わせようとする。「呼び出しに瞬時に答えられるようにしなければ」とモーちゃんがとった改善策は、常にキッチンに一番近い玄関で待機することだった。しかし、健気な努力が報われることはなかった。母親の暴力は止まず、さらに、手伝いが終わると彼女を玄関に追い出し、キッチンのドアに鍵をかけたという。ガラスの向こうでは、弟がおいしそうにごはんを食べている。その姿をずっと見続けていた。

イラスト/帆南ふうこ
「つまり、それ以降わたしの食事はなくなったってこと。玄関の脇が父親の書斎だったんだけど、お菓子もらってなんとか食いつないでたよね。父親がいるとき普通にごはんを出してもらえてたけど、学校の給食がなくなる夏休みは、空腹でフラフラになって本当にきつかった」
両親の離婚、自殺願望、自分が自分じゃなくなる感覚
もう限界だと感じたある日、思い切って父親に母親からされてきたことを打ち明けたという。当然のごとく父親は怒り狂い、壮絶な夫婦喧嘩の後で離婚。小学3年生にして、母親や弟と離れ、隣県の父親の実家に引き取られた。「自分のせいで家族が離れ離れになってしまった」と自分を責めたモーちゃんだったが、一番つらかったのは、父方の祖母や伯母たちに「虐待の証拠」として裸の写真を撮られたことだという。
「こんなに痩せて……って泣かれたときに、ようやく自分がされてきたことを認められたんだ。でも、それは同時にすごく惨めな気持ちだった」
胃が縮小していたから、一人前の食事を心置きなく食べられるようになるまで、まる2年かかったそうだ。新しい住まいでは祖母が毎食ごはんを作ってくれた。ようやく安心できる場所に逃げられたと思ったが、その期待は裏切られる。
「実はみんな頭に血が上ると見境がなくなる性格だったらしく、いさかいと暴力の絶えない家だったの。原因はお金の貸し借りとか、いろいろ。わたしはつねられたり突き飛ばされたりする程度だったから、前に比べたら全然マシだったんだけどね。なんかもう疲れちゃって」
高校生のときに、抑えきれない自殺衝動が襲ってきた。家族に精神科受診を希望するも「その必要はない」と拒否され、仕方なく自分のお小遣いをやりくりしてこっそり病院へ通った。うつ状態、PTSD、自分が自分でなくなる感覚――。精神科での治療は、過去のつらい体験をわざわざ詳細に思い出して主治医に話さなければならない。それはセカンドレイプのように、地獄の追体験をさせられるようなはかり知れない苦痛を伴う。18歳の女の子がたった一人で闘うには、大きすぎる敵だった。
家のキッチンに入ると、包丁をつきつけてくる母親の映像が浮かんできて、左手が麻痺したように感覚を失ったという。大学生になっても、それらの症状が治ることはなかった。
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