果物の皮剥きに限らず、料理や掃除、整理整頓などの「家事」や、子どもの世話をする「育児」は、男性よりも女性のほうが向いているし上手いと見られがちで、その分、男性は“ちょっとやっただけ”でもその頑張りが褒め讃えられ、結果よりも経過が評価される。対して女性は上手にできて当たり前だと思われているため、あまり褒められず、皮剥きに10分かければ「10分もかかって」と小言を言われ、出来栄えが悪ければ「女なのにヤバイ」と蔑まれ、頑張ってやろうとした経過は見てもらえなかったり……。
飲み会で料理を小皿に取り分けるのはなぜか女性の役目になっていたり、家庭で行われる家事・育児は女性がメインで担うのが普通、男性が子どもの世話をしているとイクメンと褒められる。共働き家庭が増えた現在、家事や育児を当たり前に行う男性は確実に増えているが、しかし、男性がやれば褒められ、女性がやるのは当たり前という風潮が消え失せたわけではなく、そういった風潮にモヤモヤを抱え、「これは性差別ではないか」と感じる人は少なくないだろう。
性別という大きなくくりで物事の向き不向きを決め付けるのは雑である。家事にしろ育児にしろ、性別に関係なく得意・不得意はあるし、育児に手一杯の時に完璧な家事を求められても困る。家事や育児をできて当たり前と見なされるのは重圧で、うまくいかない時に自分を責めたり、あるいは自分の評価を下げたくなくてうまくいかないことを隠し「助けて」と言えない……ということにだって繋がりかねない。同様に男性が仕事をして稼ぎ家族を支えるのが当たり前と見なされるのも重荷だろう。結果、追い込まれて、自分や子どもを傷つける危険性だってあるのだ。やって当たり前・できて当たり前という先入観は、男性も女性も、幸せにはしないだろう。少なくとも家庭という最小規模の共同体においては、先入観で相手を見ずに、お互い褒めあえればいいのではないだろうか。
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