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虐待児だったオレを救ってくれたのは、右翼の先輩たちだった

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とにかくチカラが欲しかった、運送も取り立てもなんでもやった

「お前のためにも、県外へ出ろ」。すべての事情を知っていた担任の勧めで、中学卒業後は静岡県浜松市の鉄工所に就職した。家で虐げられていたため学校にもほどんど通えていなかったが、担任が集団就職の一環で押し込んでくれたのだ。

「あんときは、『オレみたいなもんは世の中にいらんのかな?』と思ってたから、社会に出てからは、強い男になろうと努力したよ」

 三島由紀夫の存在を知り、文武両道かつ堂々とした姿に憧れ傾倒した。三島が結成した学生組織『楯の会』に入ることを目標に定時制の高校に入るが、1970年、三島の割腹自殺により断念。失意のあまり鉄工所も高校も辞め、路頭に迷っていたときに拾ってくれたのが、姫路に拠点を持つ右翼団体だ。総裁が、マサやんの生い立ちやデコトラに憧れていることを知り、運送職員として雇ってくれたのだった。

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イラスト/帆南ふうこ

 初めて居場所を得た少年は、スポンジが水を吸うように先輩の教えを吸収していく。

「事務所に住み込んで、あいさつの仕方から靴のそろえ方まですべて教わったよね。お客さんの靴は、身なりが悪くても年下でも平等にそろえる。あの頃の経験は、今でも財産だよ。借金の取り立て仕事は、返済額の半額が報酬になることもあって、割りのいい仕事だった。ケンカもたくさんして派手に遊んだし、たくさんの人も泣かせたね」

 自分の存在意義を疑う少年たちに、チカラを得る方法や義理人情の絆を示してくれる。彼らの活動の是非はここでは問わないとして、暴力団や政治集団がサバイバーの受け皿を担っている部分はあるんじゃないだろうか。

 28歳で結婚。息子も生まれた。

「でも、『あなたには何か大事なものが足りない』と言われて4年で別れたんよね。自分でもそれはわかるけど、何が欠けてるかはわからなかった」

 故郷を捨てケンカに明け暮れ、強さは手に入れたはずなのに、なぜ? しかし、心に空洞があるかのような欠落感は、サバイバーが多かれ少なかれ持っている感覚である。それが他人への信頼感なのか、自己肯定感なのか、生きたいという欲求なのかは人それぞれだが、時には親を憎んだり自分を責めたりして、ピースが欠けたままのパズルに取り組むしかないのだ。

 だが、33歳で新しい「親父」ができ、マサやんのパズルに新しいピースが加わる。

「同じ思想を持つトラックの集まりで出会った人でさ。相手は年下だったけど『お前オレの子になれ』っていうのよ。お互いかたぎの人間ではあるけど、盃を交わして親子の関係になった」

 ひとつの盃で酒を飲みかわし、器はマサやんが半紙に包み大切に保管している。「親父」は、いつも独り身のマサやんを気づかってくれた。

「オレが誕生日を祝ってもらったことがないって知ったら、次の誕生日に家に呼んでお祝いしてくれてね。奥さんが大きくて立派な鯛を焼いてくれてさ……」

 マサやんの声が詰まる。思えば、家族からこんなに優しくされたことはなかった。その後の付き合いは、「親父」が亡くなるまでの30年間続いたそうだ。実父が亡くなったときは涙も出なかったが、「親父」のときは1週間以上「目から汗が止まらなかった」という。

 足りない、欠けていると思っていた「何か」は、人から与えられたときに初めて気づけるものなのかもしれない。それは人を屈服させるチカラとは別の温かいものだった。

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