樹木希林が広瀬すず・松岡茉優ら、若手の映画人に残した多大な影響

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 このような働きが出来る理由について、樹木希林自身は<全体をぱっと見てつかむ、俯瞰でものを見る癖はふだんからついているわね。それがないと役を演じられないのよ。私は脇が多かったでしょう。主役はいいの。話がずっと描かれているから。でも脇は出番がぽこっとあって、その前後の人生が描かれていない>「AERA」2017年5月15日号/朝日新聞出版)と語っているが、こういった「ものの見方」は女優としてのキャリア初期から学んできたもののようだ。

 樹木希林は1961年に文学座に入り女優としての活動をスタートしているが(当時は「悠木千帆」名義)、前掲「SWITCH」の対談のなかで、客観性を保った台本の読み方は文学座で教わったと明かしつつ、このように語っている。

<台本は誰だって読めるじゃない。でもその台本の中で、自分がキャンパスの中のどの絵の具のどの色になったらこの絵がうんと引き立つか。その自分の置き場所も含めて台本を読む。そりゃ、素晴らしい演出家ばかりならいいけど、そうじゃない時にどう自分を活かすかという意味でも、台本を読むということは最初に教わった>

 <素晴らしい演出家ばかりならいいけど、そうじゃない時にどう自分を活かすか>という表現がなんとも樹木希林らしいが、50年以上におよぶ長いキャリアを常に第一線でい続けられたのは、まさにこういった能力があってこそなのだろう。

 樹木希林といえば、トーク番組での歯に衣着せぬ物言いも絶品で、バラエティー番組にも引っぱりだこだった。どれだけキツい毒舌をぶつけても視聴者や共演者を嫌な気持ちにすることなく、きちんと笑いに昇華できていたのもまた、これまで述べてきたような「ものの見方」があってこそであるはずだ。

 そして、そのような樹木希林の女優としての佇まいは、後進の女優たちに大きな影響を与えている。

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