「痴漢も生きづらい」小川榮太郎の破綻した論考を載せた「新潮45」

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 今月号の「新潮45」に掲載されていたもののなかで突出してひどかったのが、文藝評論家の小川榮太郎氏による「政治は「生きづらさ」という主観を救えない」と題された文章だ。

 小川氏は原稿のなかで序盤からこのように綴る。

<テレビなどで性的嗜好をカミングアウトする云々という話を見る度に苦り切って呟く。「人間ならパンツを穿いておけよ」と。
 性的嗜好など見せるものでも聞かせるものでもない>

 ここで小川氏は「性的指向」ではなく「性的嗜好」と書いている。ここから小川氏がLGBTの問題を「趣味嗜好の話」と曲解して捉えていることが分かるわけで、この前提からして誤りだ。

 そして小川氏は、なぜLGBTの人々がメディア上に自らの姿を晒すリスクを冒してまで主張を述べようとするのか理解しているのか。

 それは、現在の日本社会にはLGBTの人々に対する差別や偏見が確実に存在し、そうでない人々と同じような生活をするのには高い壁がそびえたっているからだ。

 2015年には、LGBTであることを友人に暴露されたことを苦にした一橋大学大学院の学生が自殺するという事件が起きたばかりである。

 LGBTであることを明かせば就職が難しくなったり、仕事に支障をきたすことだってあるだろう。

 また、扶養控除などの税控除や社会保障も同性パートナーには認められていない。片方が亡くなったときの相続の問題もある。さらに、病気で入院してしまい「家族以外は面会謝絶」といった場合に同性パートナーはどうするのかという問題や、家を借りようと思った際に大家から断られてしまうといった問題もある。

 LGBTの人々の生活をいっさい考慮せぬままつくられている社会システムのなかで生きづらさを抱える人々は数多いる。そういった人々のために尽くすことこそ政治の役割で、むしろ積極的に税金を投入すべきことだ。

 しかし、小川氏は原稿のなかでこのように綴る。

<性の不一致が心的事実として一定の確率で存在する事を私は否定しない。だが、それを言うなら、時代との不一致、社会体制との不一致、会社との不一致、家族との不一致も、人生の致命傷となり得る>

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