社会

ちぎりとられたダイバーシティ――大坂なおみ選手が可視化した人々

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 「役に立つ/役に立たない」という基準で、「ハーフ」や海外ルーツという他者を評価し、区別することで、人々を「役に立つ」側と「役に立たない」側に分断する視線が。

 注目すべきは、彼の話法です。彼は、自らのアイディア――厳密には、WEB上の言論プラットフォーム・アゴラに掲載された新田哲史氏の『大坂なおみ選手の快挙を機に 二重国籍制度改正の議論を』という記事に触発されたアイディア――を、自身のフォロワーが含まれるのだろう「日本国民」にお伺いを立てるかたちで述べています。つまり、判断するのは「日本国民」のあなたたちの責任であって、自分ではないのだ、と先回りして責任転嫁を図っているのです。もし何か自身が批判されれば、それは「日本国民が議論した上で決めたことだから」と言い逃れができますし、「日本国民」からの評判が悪ければ「ご提案にすぎないので」とでも言いながら、とっとと引っ込めてしまえばいい。そんな大変使い勝手の良い話法によって、大坂なおみ選手と彼女のように将来快挙を成し遂げるであろう複数のルーツや国籍をもつ状況にある人物を「日本人として受け入れるかどうか」という議論が彼のツイートにぶら下がるかたちで開始されました。

 結果としては、彼の「呼びかけ」によってTwitter上で姿を現した自称「日本国民」たちは彼のアイディアがあまりお気に召さなかったようです。「特例」を認めれば「歯止め」が効かなくなる、「利益相反だ」「スパイがうんぬん」といった言葉がならびます。登場した「日本国民」たちは、国籍法によって日本国籍を奪われた、あるいは、奪われる可能性のある人々の想いや生活のことなどそっちのけで、公開の場で堂々と議論を進めていました。複数のルーツをもつ人々に、自分の発した「日本国民」としての言葉が突き刺さる可能性など、まったく気にも止めずに。外見的特徴や言語能力や歴史的かつ現在進行形の国家間の対立、制度的な不備や恣意的な運用によって、構造的に日々の生活を振り回され続ける可能性にさらされた、「ハーフ」や海外ルーツの目や耳に触れることなど、想像すらもせずに。きっと「呼びかけ」を行った当人も、それは同じでしょう。

 もちろん、中には足立議員のアイディアに賛同する者もいました。実際に、「日本国民」にとって「役に立つ」ならばいいではないか、という意見も少ないながらに目にしました。ですが、足立議員のアイディアに賛成するにせよ、反対するにせよ、そこには「日本国民」にとって「役に立つ/役に立たない」という基準によって評価しようという視線があることに変わりはありません。複数のルーツと国籍をもつ人々は、いったん他者化され、そこから「日本国民」のなかにいれるかどうかを、「日本国民」が一方的に決めてよい存在として、まなざされ、扱われるようです。なかには、彼女自身が22歳までに選択するのではないか、と国籍法の「努力」規定を念頭に述べる人もいましたが、やはり少数派であることに変わりはありません。

 足立議員のツイートも触媒の1つとなりながら、大坂なおみ選手は一体何者なのか、「日本国民」はどのように彼女をまなざせばよいのか、という論点をめぐって、議論は今日まで過熱し続けています。

 しばしば、彼女の国籍選択をもって、議論の結論としようとする発言もソーシャルメディア上では目立ちました。

 しかし、そもそも日本の国籍法は、制定にまつわる経緯によって、加えて「戸籍法」や他国の国籍法との関係性によって、個々人の日本国籍を喪失させてしまう原因を生み出してきました。一方で、他国の国籍法との関係性において、自ら「実質的な重国籍」と呼べる状況を作り出し続ける――いわゆる「国籍唯一の原則」を自ら破り続ける状況を絶えず作り続ける――規定を日本の国籍法は維持しています。そのために、自分が選択したわけでもないのに「いつの間にか国籍を失っていた……」「知らない間に重国籍になっていた…」という状況が、常に生み出され続けているのです。

 つまり、国籍にまつわる「問題」は、実は「個人の選択や努力の問題」というよりも、歴史的な経緯や国境を横断する人々の増大といった現状と、実際の法整備・法解釈および恣意的な運用が生み出す「ズレ」によって絶えず「個々人が振り回される問題」なのです。

 しかしながら、日本の国籍法自体によって、個々人が国籍を喪失してしまうことや「実質的な重国籍」状況が生み出されることで絶えず「個々人が振り回されてしまう」側面は、実は、「わかったような気になっている」人すらわずかで、その詳細な原因や経緯については、社会的に十分に共有された知識とはいえないのではないでしょうか。

 国籍をめぐる個人の選択や努力によって「忠誠心」をはかろうとしたり、「日本人の条件」をめぐる自己決定権の行使の有無の問題として話を進めようとする人々の多くも、実は、その点を十分に検討せずに、サラッと流してしまっているように見受けられます。少なくとも、ソーシャルメディア上で「国籍法のスクリーンショットを貼ってみる」ことと、国籍法の歴史的経緯や運用をめぐる厄介さをしっかり「理解」していることの間には、驚くほどに大きな差があります。

 そのために、「大坂なおみ選手は何者か」という話題も――そもそも大坂選手にとっては「はた迷惑」な話であるように思いますが――それぞれが共有している知識があまりにもバラバラで、そもそも話題の焦点すら噛み合わないままに、どうにも空転している印象がぬぐえません。

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