「あなたのアイデンティティはなんですか?」 ニューヨークに住む26人の移民たち

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■ジャマイカ(レコード会社設立者 70歳 米国移住時40歳)
私自身は自分を「中国系ジャマイカ人」だと思っています。けれど私の子供たちには中国、インド、黒人の血が流れていて、彼らの結婚相手にはドイツやアイルランドの血が入っているの。だから孫たちも含めて家族で集合すると、肌の色も目の色も驚くほどバラバラなのよ! でもね、多彩な文化を併せ持つことに、皆、とても感謝しています。(註:両親は中国からジャマイカへの移民と、インドからジャマイカへの移民。亡夫はジャマイカ黒人と中国系ジャマイカ人のミックス)

■ポーランド(ヘアスタイリスト 28歳 米国移住時22歳)
(仕事の拠点を米国にしたいので)将来は米国市民権も取るかもしれない。それでも私は一生、100%「ポーランド人」よ。ポーランドで生まれ育って、ここに来た時にはすでに大人になっていたのだから。アメリカで6年暮らしてこの気持ちが変らなかったわけだから、これから先も、きっと変らないはずよ。

■バングラデシュ(大学生 22歳 米国移住時10歳)
(幼い時期に移住してアメリカナイズされたが)それでも私は自分のことを「ベンガル人」だと考えています。何といってもベンガル料理なしでは1日も生きていけないし(笑)、家族の価値を重んじることなどベンガルの文化を尊重しています。そして、私もそこに属していることを誇りに思っています。

■南アフリカ共和国(振付師/ダンサー/学生 33歳 米国移住時23歳)
今回の一時帰国によって、私は国に帰ることを決めた。南アは美しい国だと再確認したし、アパルトヘイト廃止以来、経済活動が活発だから、ビジネススキルを持った人材が必要だと分かった。以前から、いつかは帰って政治家になろうと考えていた(中略)。私は「南アフリカ人」であり、かつては勇猛な戦士として知られた「ズールー族」だ。私は必ず南アに帰る。

■韓国(印刷会社経営 33歳 米国移住時25歳)
イスラム教に出会うまでの私は人種差別主義者でした。アメリカに来たのは教育を受けるため、他の民族や人種とは付き合わず、韓国料理以外は食べる気もしませんでした。(自営業と子育てで多忙を極めているが)イスラムへの信仰がなければ、ここまでやり通すことは出来なかったと思います。将来の夢は、イスラム教徒と非イスラム教徒が一緒に学べる学校を作ることです。お互いを理解し、皆で平和に暮らせるようにしたいのです。(註:渡米後にイスラム教に改宗、イスラム教徒男性と結婚)

■米領プエルトリコ(歯科事務員 63歳 米国移住時12歳)
私は「プエルトリコ人」です。ただし移民ではありません。パスポートの出生地の欄には “プエルトリコ U.S.A.” と書かれています。私たちは「アメリカ市民」です。でも、アメリカ人ではなく、プエルトリコ人なのです。

■ホンジュラス(エンジアニア 65歳 米国移住時13歳)
「ホンジュラス人」の多くはメスティーソ(先住民と白人の混血)だが、私たち「ガリフナ(民族)」はアフリカの血を引いており、今ではスペイン語も話すがヒスパニックではなく、「黒人」だ。しかし、アメリカ黒人とは異なる「アフロ・カリビアン」だ。もっとも、アメリカに50年も暮らしているのだから、今では自分を「アメリカ人」だと考えている。(註:下記のホンジュラス出身女性の夫)

■ホンジュラス(バイリンガル講師 63歳 米国移住時21歳)
夫のようにガリフナ村の出身者はガリフナ語を話しますが、ホンジュラスでも都市部ではスペイン語しか使われないため、私は話せませんでした。けれどニューヨークに来た当初はガリフナ語を使う人たちに囲まれ、いつの間にか覚えてしまいました。4人の子供たちはガリフナ語はわからず、スペイン語も少し使える程度ですね。夫と私はガリフナ語とスペイン語の両方で話しますが、子供たちに聞かれたくないことはガリフナ語です(笑)。(註:上記のホンジュラス出身男性の妻)

■韓国(レストラン経営者 53歳 米国移住時21歳)
21歳でアメリカへ来てからもう32年が経ちます。アメリカで過ごした年月のほうがはるかに長くなってしまいましたが、私は「韓国人」ですね。なんといっても大人になるまで韓国で暮らしたわけですから。私は腕の良いソウルフード(アメリカ黒人料理)の料理人ですが、一番好きなのはやはり韓国料理なんです。

■コートジボワール(レゲエ・シンガー 30歳 米国移住時23歳)
アメリカ生まれの二世たちに文化を伝えていくことも大切だ。子供たちがアメリカナイズされるのは当然だけど、親はきちんと教えていかなくちゃね。(中略)コートジボワールで2年過ごして、またニューヨークに戻ってきて……。そんな生活がしたいな。ただし、僕は「アフリカ人」だよ。その次に「コートジボワール人」だ。だってアフリカはひとつにならなくちゃいけないんだよ。(註:妻はイスラエル出身)

■グアテマラ(ミュージシャン/オーディオ技術者 27歳 米国移住時19歳)
僕自身も自分のことをラティーノとは思えないんだ。いろいろな書類に人種やエスニックを記入する欄があるだろう? 「次の中からあてはまるものを選べ:白人、黒人、アジア系、ヒスパニック/ラティーノ……」 僕は空白のまま提出するんだ。(註:母はアラブ系ユダヤ教徒、父はアイルランド系と思われる白人男性)

■ブルガリア(リタッチャー/写真の修正技術者 25歳 米国移住時18歳)
アメリカ人といっても、中西部とニューヨークでは全然違うのよ。ニューヨークの典型的なアメリカ人っていうのは、労働者階級の三世のことね。一世は移民、二世は移民とアメリカ人の部分が半分ずつ、三世になると完全にアメリカ人化するのよ。私の友人はほとんどがブルガリア人。今では英語で困ることは一切ないけれど、でも、ブルガリア人以外の友達はそれほどいないわね。(註:米国中西部の大学に留学後、ニューヨークで就職)

■フィリピン(看護師 46歳 米国移住時19歳)
人生の半分以上をアメリカで過ごした今も、心の中は「フィリピン人」のままです。フィリピン人の友人、特に同じイロンゴ語で話し合える友人もいますし、ものの考え方、話し方、服の好みも保守的なままだと思います。でも、アメリカ人の友だちもいますし、イトコたちと違い、フィリピン系コミュニティで行われる伝統行事にはあまり参加しません。……私は「アメリカとフィリピンが半々」といった感じでしょうか。良いバランスが取れているのではないかと、自分では思っています。

■ドイツ(写真プロデューサー助手 27歳 米国移住時24歳)
私は「ドイツ人」だけど、そうね、「ドイツ8割:フィリピン2割」って感じかな。(中略)フィリピンに行ったこともないし。私はドイツで生まれ、ドイツ語を話し、いかにもドイツ的な振る舞いをするから、思いっきり “ジャーマン・ポテト” (典型的ドイツ人)になっちゃうこともあるのよ(笑)。

■香港(日系企業アカウント・マネージャー ?歳 米国移住時は高校生)
(移住後)母は英会話の教室にも通い始め、今では日常会話は問題なくできるようになっていますが、そうなるまでに何年もかりました。(中略)ところが弟は驚くほど早くアメリカナイズされていきました。当時、弟は中学生でしたが、編入したての学校で両隣りに座っていたのがアメリカ生まれのアラブ系とラティーノの少年だったんです。弟は2人とすぐに仲良くなり、それから黒人の友達もたくさん作りました。弟には今でもアメリカ人の友達のほうが多いですね。もっとも恋人は香港出身者ですが。私は(中略)今では仲の良いアメリカ人の友達もいますが、香港出身の友達とは日本語で言うところの「懐かしい」気持ちを共有できますね。

■ハイチ(教育家/アーティスト/地域活動家 40歳 米国移住時17歳)
(私の)子供たちはアメリカ生まれだが、私と妻の影響でハイチの文化も受け継いでいる。しかし移民であることはやはりプレッシャーだ。ここで生まれた子供たちがアメリカ人になろうとすることは十分に理解しているよ。私自身はもちろん「ハイチ人」だ。米国市民権を持っていようが、アメリカ人ではない。ではニューヨーカーかどうかって? もちろん私はニューヨーカーだよ! 20年以上も住んでいるんだよ! 何より、ここは移民で成り立っている場所なんだ! そう! 私はアメリカ人ではないが、ニューヨーカーなんだよ!(笑)

U.S. FrontLine 2004-2008 初掲
(堂本かおる)

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