「新潮45」で「LGBTは生産性がない」と主張し、税金投与の是非を問いかけた杉田水脈衆議院議員。世間は「LGBT」への差別だと大騒ぎになった。そして「新潮45」は炎上する状況に、改めて「的はずれな批判」と論客8名の論文を掲載して反論。火に油を注ぐことになり、社長自ら謝罪し、「新潮45」は休刊に追い込まれることになった。
問題は杉田議員の「生産性がない」の言葉の誤用や、子どもをモノ扱いしていることではない。
杉田議員の発言にある不気味さは、そこに潜む「優生思想」だ。杉田議員は決して名家の生まれでも、一流大学出身のエリートでもない。比例代表で甦った、いわゆるゾンビ議員である。杉田議員の生みの親ともいえる橋下徹氏の言葉を借りれば「ポンコツ議員」の一人にすぎない。
それでも彼女が自民党内で真正保守派の急先鋒のように奉られるのは、その右傾化した過激な優生思想と発言を支持する議員と国民がいるからだ。
「生産性がない」の裏に潜む優生思想
優生思想とは、「劣る人間を排除し、優秀な人間だけが生き残り、理想的な社会を作る」という考え方だ。かつてヒトラー率いるナチスは、アーリア人種のみによるドイツの千年王国を謳い、ユダヤ人をはじめ、同性愛者、障害者を迫害・虐殺した歴史を持つ。ユダヤ人は、アーリア人の富や利益を搾取し、同性愛者や障害者は、「産めや増やせ」を国策として掲げたナチスにとって「生産性」がないと判断したからだ。「生産性」を理由にLGBTを排除する杉田議員の思想は、ナチスの同性愛者や障害者を排除する思想と、どんな違いがあるのだろうか。
杉田議員の発言は、ノーベル賞作家のカズオ・イシグロの長編小説『わたしを離さないで』を思い起こさせる。ある施設で臓器提供のためだけに育てられる子どもたちの物語だ。クローンで作られた子どもたちは、臓器を提供するという生産性の高い役割を担って生まれてきた。しかし、クローンで作られた子どもたち自身は、自ら出産することはできない。
杉田議員は、この出産能力はないが、臓器を提供できる子どもたちにも生産性がないと言うだろうか。LGBTの人たちが健康な臓器を提供をすれば、生産性があると言うだろうか。