「夫婦平等」だけが家庭円満の秘訣じゃないことに気付いた

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育児日記

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 「イクメン」という呼び方が気に入らないということは、原稿でもたびたび書いてきた。そもそも子供は夫婦それぞれの存在によって誕生するものなんだから、子育ては「女性がやって当たり前」「男性が“参加”すれば褒められる」という風潮は気色悪い、と思っていたし、妻も働くのが当たり前になった時代だからこそ、このような思いや不満を抱えている女性は多いと思う。

 しかし「対等であるべき!」と声高に訴えていたとしても、実際のところ、夫が妻同様に子育てに励んだとして、本当の意味で「当たり前だ」と腑に落ち、それを日常化した風景として見ることができる妻はどれぐらい居るのだろう、と最近考えてしまう。

 たとえば私の場合、収入の責任だって互いに受け持っているのだから、子育ては夫にとって毎日会社に行くのと同様の「当たり前さ」でなければ変だと思っているし、そんな中「旦那さんよくやってるね~! 素敵!」なんて他者に言われようもんなら「いやいやバカか!」と心底思うのに、いざ夫が自らオムツ替えをし全力で子供と遊んでいる姿を見た時に何だか機嫌が良くなってしまうし、夫の評価が少し上がってしまう。

 夫が毎月給与を持って帰ってきたところでそんな風には思わないのに(当たり前だから)、子供と密に関わっている・子育てに積極的に取り組んでいる姿を見るにつけ、心の中で「良い旦那だな」とか思ったり。ということは、夫が育児することを「当たり前じゃない」と思っているのかもしれない。

 理屈では「対等にやるべき!」と思っているのに、実際は対等なシチュエーションが「特別」になっている。結局、私自身が夫の生活を「仕事は当たり前」「子育てはオプション」にしてしまっている。

子育てがオプションになっている夫&そうさせてしまっている妻

 子育ては男女対等な仕事として捉えるべきだ! と信念を掲げていながらも、本当に心から夫に子育てを委ねられる妻もそんなに多くはないと思う。夫に任せきりになると何かと弊害が起こる。たとえばオムツ替えを忘れてお尻がかぶれてしまうとか、食事は毎回マックになってしまうとか、子供と遊ぼうもんなら子供同様に散らかす→リビングが散々なことになる(後に妻が片づけるはめになる)etc……。

 もちろん全然そんなことはなくて、妻のほうがズボラで夫が几帳面な家庭もたくさんあるだろうが、我が家の場合は上記の通りで、これらに加え息子に直接危険が迫ることも懸念している。

 私の夫は「緊張」「緩和」のスイッチの入りどころが不明で、極端に注意力散漫な所がある。それに昔から危険察知能力が著しく低い。まだ2歳になりたての息子をホームで一人きりで歩かせたり(少し離れた位置からスマホで撮影)、保育園登園時、荷物&ベビーカーで両手を塞がれた状態のまま車通りもある場所を息子一人歩かせたり。

 何十回(いや何百回)と注意していても、夫はベビーカーを降りて自分で歩きたいという息子の意思を何より尊重してしまう。

 不幸にも子供が自己に遭ってしまった家庭でもそれは「まさか」と思うタイミングだったのだろうし、子供がいる以上いつ当事者になってもおかしくないと私は思っている。

 ましてやそれでなくても好奇心旺盛な2歳児。注意しすぎてちょうど良いと思うのに、夫はその辺りを完全にナメている(私が注意した時はわかった!と了承している)。

 だから、夫に息子を完全に任せる時は何かと“指示”のようなものを与えてしまう。

「冷蔵庫にご飯用意してあるから、何も買わないでそれを食べさせてね!」「遊ぶときは片づけながら遊んでね!」「今日は雨が降る予報だから抱っこ紐で出かけてね!」「寒いから1枚多く着させてね!」

 それに加え、夫が保育園の送りを無事完了できたのか心配で心配で、会社に着いてから毎朝メールで「どうだった?」のような伺いをしてしまう。

 対等な意識があるのなら、こんな風に指示や確認などしないはずだ。だから夫もいつの間にか「サブ」的な感覚になってしまうだろうし、これじゃどうしたって本当の意味で責任分担などできるはずはない。

 指示なんか与えなくたって普通の良識や後々の効率も踏まえてやってくれれば良いだけの話なのだが、それができないなら言わざるをえない。でも、ただの指示ならまだしも、注意(それはしないで!的な)をする度に、自分のほうが上に立っているような気がして嫌な気分になる。

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