社会

教育勅語を「普遍性をもっている部分が見て取れる」と評価した柴山昌彦文科相の間違い

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 教育勅語は天皇からのメッセージとして書かれている。教育勅語と天皇主権を分離して考えることはできず、<父母ニ孝>などの徳目はすべて最終的に「天と地とともに無限に続く皇室の運命を翼賛すべきである」といった意味の<天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ>へつながっていく。

 そういったことから、いくら個々の徳目の項目が現代においても共通するものとして響いたとしても、国民に主権のある現在の日本において復活させることは認められない。『教育勅語の何が問題か』(岩波書店)のなかで、お茶の水女子大学教授の米田俊彦氏は、このように記している。

<教育勅語そのものが日本国憲法の国民主権等に合致するかという点については、全体を通じて天皇への忠を貫く考えや、すべての徳目を天壌無窮の皇運扶翼へ集約する考えが、国民主権を理念とする日本国憲法と矛盾することは言うまでもありません>

 そして、もうひとつ考えなくてはならないのは、現代において教育勅語を復活させようとする政策が、諸外国からどのように受け止められるか、ということである。国立歴史民俗博物館研究部准教授の樋浦郷子氏も『教育勅語の何が問題か』のなかでこのように主張する。

<日本人はこれに価値を認めるだけでなく、学校で利用しようとしていると、外国の人々に思われる事態を想像してみましょう。日本人に対する外国人の印象は、どのようなものになるでしょうか>

 教育勅語は植民地政策においても使用され、台湾や朝鮮の教育現場でも導入された。異民族支配のための道具となっていた歴史的経緯から目を背けてはいけない。

なぜ教育勅語にこだわるのか?

 現代において、もしも「親を大切にしましょう、兄妹は仲良くしましょう」といったことを子どもたちに教えたいのならば、それに即したテキストを用意すればいいだけの話で、なにも教育勅語を復活させる必要はないだろう。

 それでも教育勅語にこだわるのはなぜか?

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