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安室奈美恵は本当に“完璧”だったのか? ファンが愛した安室とメディアが描いた彼女との“乖離”

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引退前の安室奈美恵オフィシャルサイトより

 2018年9月16日、安室奈美恵が引退した。1992(平成4)年にデビューした“平成の歌姫”が、平成最後の年に一線を退くという大事件に、日本中は大フィーバーとなった。

 この1年、新聞、雑誌からウェブメディア、テレビ、動画配信サービスなど、あらゆる媒体が安室奈美恵を取り上げてきた。おおげさでなく、1日たりともその名を目にしない日はなかったといえるだろう。だが、メディア文化論を専門とする大妻女子大学の田中東子准教授は、多くのメディアによるこれらの報道に対して、ある疑問を呈するのだ。

「特に週刊誌や民放テレビ局はこれまで、結婚・出産、実母の殺害事件、そして離婚、熱愛などをさんざんスキャンダラスに書き立ててきました。それなのに、引退となった瞬間に手のひらを返し、彼女を『完成された理想の女性』としてたたえはじめるのは、あまりに都合がいいのではないかと思います」

 田中准教授がもっとも問題視するのは、安室奈美恵を扱うメディアがしばしば口にする「完璧な女性」というキーワードだ。

「この1年、多くのメディアは安室奈美恵さんを、『成功したパーフェクトな女性』として扱ってきました。14歳でデビューして、母親業も完璧にこなしながらあれだけのキャリアを積み、引き際まで自分でコントロールできるほどの女性。プライベートを切り売りせず、最後まで弱点を見せず、年をとっても女性らしいかわいらしさをなくさない女性――。これって、古いタイプのフェミニズムが理想としてきた、『仕事も育児もできて女性らしさも忘れない、完璧な女性像』なんですよね」

 しかしそうした女性像は結局のところ、安倍内閣がうたう「女性が輝ける社会」における女性像と同じではないかと田中准教授は指摘する。仕事では堂々と男性と渡り合い、と同時に笑顔で育児をこなして「女らしさ」も引き受ける。そういった、男性社会に都合のいい「輝く女性像」なのだ、と。

「安室さんの功績は、確かに素晴らしいものです。ただ、彼女の紆余曲折を成功までの過程としてしか取り上げず、現在の姿を過度に神格化するだけでは、『女性はパーフェクトな状態で輝いてこそ』という、女性に対する無言のプレッシャーを再生産するにすぎないのではないか。それは、現代女性のあり方に対して非常に無自覚であり、だからこそ無責任だなと感じます」

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