有村架純がキスで「脱皮」? 過剰に意味づけされる女優の性的なシーン

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 作品に登場するある人物を演じる中でキスシーンなどの濡れ場をこなす、作品内での脱ぐ・脱がないに対して、さりとてこだわりのない役者もいるだろうし、濡れ場=エロではない。様々な演出意図からベッドシーンがある。

 実際、“脱皮”を図ろうという意識や、あるいはメディアや世間に注目されるだろうという計算の上で濡れ場を演じる女優もいるのだろうし、「濡れ場が見どころ」と銘打つ映画もあるだろう。しかし、いい大人が読むはずのメディアが、「キスシーンがある=エロ」「ベッドシーンがある=エロ」「着替えシーンがある=エロ」と、それこそ中学生男子のような感覚で受け止めるのは、作品をPRする側にとっても本意ではないのでは。

 そして日常的な行為であるはずの体のふれあいを描いた作品であっても、過剰に「エロ」という意味づけをされて消費されていく。あからさまに肉体を見せることを目的に定めた水着グラビアとは違うのに、なんでもかんでも同じように受け取ってしまう。たとえば女優の吉岡里帆が「水着グラビアは最初はイヤで泣いた」という話をした後に、主演ドラマで下着姿になるシーンがあったことについての反応がわかりやすい。「あんなにイヤがってたのにドラマでも脱がされている」とか「ドラマで脱げるんだからまたグラビアやればいいのに」とか。全然、文脈が違うのにである。

 そうした消費に抗うかのように、二階堂ふみや満島ひかりは、出演映画でサラッと脱いでみせたが、それこそが“肝の据わった本格女優”だという見方もまた二重におかしい。彼女たちはごく自然な話の流れでその姿になっているのだから。いわゆる濡れ場に過剰な意味を持たせず、あくまで作品として捉えることは、そんなに難しいことではないはずだ。

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