
息子を3年前に誘拐された母親。メキシコ・ゲレロ州にて。(写真/亀山亮)
「想像してみてください」
メキシコ麻薬戦争で行方不明者となった家族の会「ソレシート(小さな太陽)の会」のルシア・ディアスさん(63歳)の声が響いた。9月5日、東京・高田馬場のNGOオフィスで開かれた、麻薬戦争の実情を伝える講演会で彼女は、自身たちが置かれた窮状を説明していた。
ルシアさんの息子であるルイス・ギジェルモさんが誘拐されたのは2013年。29歳のギジェルモさんは体調を崩して、メキシコ湾西岸に沿うベラクルス州の自宅で休んでいた。が、突然、行方がわからなくなる。
8日後、ギジェルモさんが経営する会社の部下に身代金を求める電話があり、麻薬カルテルに誘拐されたと明らかになる。ルシアさんは言う。
「明るいスポーツマンで、みんなに好かれる子だった。SNSでは〈自分は人を幸せにするために生まれてきた〉と書き、実際に経営するイベント運営会社もうまくいっていました……。だから組織に目を付けられて誘拐されたのだと思います。〈彼女と一緒に暮らすための家を買おうと思う〉というメールをもらったばかりだったのですが……」
すぐに警察に訴えた。しかし相手にされなかった。メキシコでは警察組織や政府は麻薬カルテルと癒着している。被害を訴え出ても「麻薬の運び屋だったから犯罪に巻き込まれた」「お前の娘は売春婦だから、誘拐されたんだ」と難癖をつけられて取り合ってもらえないケースがほとんどなのだという。もちろんギジェルモさんが、麻薬カルテルや犯罪に関わった形跡はない。
「信じられなかった」とルシアさんは零した。何をしたらいいかわからず、途方に暮れてうつ状態になったと振り返る。

2018年9月5日、東京都内で行われた講演会にて、メキシコ麻薬戦争の実情を伝えるルシア・ディアスさん。
「メキシコで捜査される事件は全体の1割程度。はなから警察には絶望していて、届け出ない被害者家族もたくさんいます。被害届を出したことがバレたら組織や警察に逆恨みされて、誘拐されたり、危害を加えられたりするかもしれない。だから自らの手で誘拐された子どもたちを探すしかなかったのです」
いきなり家族を誘拐される。それだけでも思いもしない災難だ。しかし本来、頼るべき警察や行政が被害者に手を差し伸べるどころか、敵になるというのである。日本人の想像を絶する現実である。
警察が機能しないため正確な数字はわからないが、麻薬戦争の犠牲者の数はこの10年ほどで20万人以上、行方不明者は3万7000人に上るといわれている。ちなみにルシアさんが暮らすベラクルス州における行方不明事件は、届け出ができているだけで6000件余り。メキシコ全土で行方不明者は5万人以上はいるのではないかと推測されている。
この9月6日には、ベラクレス州の森に掘られた32カ所の穴から少なくとも166人の遺体が発見されたことが、日本でも報道された。
身代金目的で誘拐した被害者を拷問にかけ、手足を切断して殺害し、遺体を無造作に遺棄する……。凶暴な組織では遺体を酸で溶かして、その人が生きていた痕跡すらも消してしまう。そんな凄惨な暴力が、メキシコでは繰り返されている。