2)「憧れの存在」に対する想像力不足
大根版が犯している二つ目の間違いは、オリジナル版で高校時代の主人公が転校してきたその日に目を奪われた学校一の美少女・スジの扱いだろう。
オリジナル版では、美しいだけでなくどこか影を抱え、「仲間たち」のなかでも異質な雰囲気を放つスジへの、憧れや羨望だけではない、畏敬の念にも近い気持ちを持った主人公の、若い女の子が同性のクラスメイトに対して抱く特有の想いが痛いほどに伝わる。だからこそ、主人公とスジが屋台でお酒を呑みながら心を開きあうシーンは、バカバカしくも尊いのだ(このスジ/奈々への演出の違いは、主人公が恋心をいだく年上美男子のジュノ/渉の違いにも繋がるのだが、長くなるので割愛)。
それが大根版の奈々(=スジ)は、ただeggのモデルをしているキレイでクールな女子程度の扱いで、奈々に対する主人公の気持ちに敬意が感じられないのだ。
これは、劇中で多用される安室奈美恵に対しても同じことが言えるだろう。
私たちは、老いも若きも、安室ちゃんが大好きだ。彼女が単に可愛くてスタイリッシュで歌とダンスが上手いから、で片付く理由だけではなく、決してきらびやかなだけではない人生を生きながらもステージでは完璧な姿を見せる安室ちゃんに、尊敬と恐れを感じているから、いつまでも大好きなのである。それは、主人公ナミがスジを思う気持ちにも似ている。
それを流行歌の一部として使って終わりというのは絶対に違うと思うし、クライマックスでは小沢健二の曲に合わせてダンスするというのも、どちらもミュージシャンやファンに敬意を欠いた、結局監督のどうでもいい趣味の垂れ流しとしか感じられない(90年代の女子高生が小沢健二を崇拝する、その気持ちも説明したいところだが、こちらも長くなるので割愛)。
以上の理由により、大根仁監督『SUNNY 強い気持ち・強い愛』は、失敗作だと言えるだろう。90年代だろうと現代だろうと日本だろうと韓国だろうと、私たちは“おっさん”が考えるほどかわいくなんかないのだ。
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