ニューヨークの黒人地区ハーレムにデンプシー・シアターという500席程度の小さな劇場がある。そこで今、ゴスペル・ミュージカル『レット・ザ・ミュージック・プレイ…ゴスペル!』が上演されている。聴き手も自然に体が動いてしまうゴスペルの楽しさ、時には汗を振り絞るほどの熱さ、そして魂に染み入る感動を、小さな劇場ゆえに至近距離で体感できてしまうミュージカルだ。
WVHW fm という架空のラジオ局のDJの軽妙な口上からショーは始まる。ミュージカルのストーリーとは一切関係ないが、時節柄、DJは「投票しよう!」を繰り返す。アメリカは11月初頭に中間選挙を控えているのだ。今回はかつてない数のマイノリティ候補者が出馬しており、 トランプ政権を覆す序段として黒人社会にとっても非常に重要なのだ。
やがて白いローブをまとったゴスペル・クワイアのメンバー12名がステージに登場する。性別も年齢もさまざまな顔ぶれが、ゴスペルを熱唱し始める。メンバー各自がそれぞれ異なる曲をソロで歌い出す。年配の男性シンガーが低音で朗々と歌うかと思えば、そもそもは子供向けに作られた有名なゴスペル曲『This Little Light of Mine』が陽気に歌われる。そこから一転してスキャットでジャズを歌う若い女性シンガーもいれば、圧巻はジェームズ・ブラウンのごとき激しいダンスを披露しながらファルセットで歌う若い男性シンガー。途中で白いローブを脱ぎ捨てると、鍛え抜かれたセクシーな躯体にぴっちりと張り付く黒いタンクトップ姿ではないか! 教会の礼拝で歌われるゴスペルとの違いがここにある。神への賛歌とエンターテインメントの見事な合体だ。
オール黒人キャスト・ミュージカルの成功
このゴスペル・ミュージカルは、ハーレムを拠点とするゴスペル・プロダクション、ママ・ファウンデーション・フォー・ジ・アーツ(以下、MAMA)の製作だ。この名前に聞き覚えのある読者もいるかもしれない。日本でも度々、来日公演をおこなってきた大ヒット・ゴスペル・ミュージカル『ママ、アイ・ウォント・トゥ・シング!』のプロダクションだ。最近年では2013年に同作初演から30周年記念の公演を日本でもおこなっている。
『ママ、アイ・ウォント・トゥ・シング!』はMAMAの設立者、ヴァイ・ヒギンセンが姉でR&Bシンガーのドリス・トロイ(故人)の半生をミュージカル化した作品だ。黒人教会の牧師だったドリスとヴァイの父親は、娘が教会のゴスペル・クワイアを辞めてR&Bシンガー、つまり下世話な流行歌の歌い手となることに大反対した。だがドリスは家を出てシンガーとなり、1963年に『Just One Look』を大ヒットさせる。以後、米英の超大物ミュージシャンとの共演を重ねていく。
1970年代後半、ラジオのR&B専門局WBLSの人気パーソナリティとなっていたヴァイは姉の物語をミュージカル化するも、ブロードウェイは黒人のゴスペル物語に出資はしなかった。十分な客足と収益が見込めないと判断されたのだった。
諦め切れなかったヴァイは1983年に自力でイーストハーレムの小劇場で公演を始める。すると瞬く間にアフリカン・アメリカンの間で口コミによる評判が広がり、結果、オフ・ブロードウェイの黒人ミュージカルとしては史上最長8年のロングランとなった。前後して米国他州やヨーロッパでも公演をおこない、とくに日本ではこれまでに通算10回ものツアーを敢行している。つまり日本においてはウーピー・ゴールドバーグ主演の映画『天使にラブソングを!』(1992)と共にゴスペルの存在を知らしめ、人気を定着させる役割を担ったことになる。
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