彼氏に振られたショックから、自分の内面を汚すためにゆりは、タバコを吸い始める。このタバコを吸う描写が、新人とは思えないほど巧みなのである。
「煙を吹かして鼻腔で楽しむ。キャラメルの甘い香りと煙の臭いが混ざって頭がクラクラする。肺まで入れる時とは違う背徳感が、立ち上がる煙に反して体をズブズブと沈めていく」
鉄道好きなどオタク気質の持ち主として知られ、大きなスキャンダルもなく“清純派アイドル”として知られていた松井玲奈が、喫煙者の心情をここまで巧みに描くとは、と、うならせられる生々しい描写。その後、ゆりはトラウマから回復し、新しい一歩を踏み出すことができるのか……。
結末は「小説すばる」を購入して読んでいただくこととして、少なくとも27歳の現役女優の処女作としては、十二分の出来栄え。確かに、まだ小説のクリシェ(常套句)に逃げてしまう部分も見受けられないではないが、ゆりが物語最後に小さく、それでも前に歩み出す場面などには「救い」が感じられ、恋愛小説としてきちんと成立している。お見事の出来栄えではないだろうか。
岩波書店「文学」に短編アニメ評を執筆
実は、松井の文芸誌デビューはこれが初ではない。「小説現代」(講談社)2016年10月号から、隔月で書評の連載を持っているのだ。
そこで取り上げられている小説を見てみると、星野智幸『焔』(新潮社)、彩瀬まる『くちなし』(文藝春秋)、橋爪駿輝『スクロール』(講談社)、宿野かほる『ルビンの壺が割れた』(新潮社)、今村夏子『星の子』(朝日新聞出版)、誉田哲也『あの夏、二人のルカ』(KADOKAWA)、窪美澄『じっと手を見る』(幻冬舎)などとなっている。
星野智幸『焔』は、この8月に発表された、“純文学賞の最高峰”谷崎潤一郎賞を受賞した作品であるし、今村夏子『星の子』は2017年上半期の芥川賞候補になり話題を呼んだ小説だ。
通常、タレント、特にアイドルに本を語らせると、恋愛モノやミステリーモノなどに偏りがちだが、どうやら松井玲奈は偽りなき読書家であるらしく、実にバラエティに富んだ選書になっている。しかも、どれも識者の認める話題作であり、今回の「拭っても、拭っても」で見られる筆力は、そうしたジャンルをオーバーした作品たちから培ったものなのだろう。
また、過去には岩波書店から刊行されている文学系学術誌「文学」2016年3・4月号に、「マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット監督へ感謝をこめて : 『岸辺のふたり』を観て」といったタイトルで、マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット監督の短編アニメーションを論評している。アカデミックな分野でも認められる文学少女であるようだ。
現在、NHK連続テレビ小説『まんぷく』(月~土曜午前8時)で、安藤サクラ演じるヒロイン福子の親友役で出演している松井玲奈。日刊スポーツ10月17日付けによると、執筆は移動中の新幹線で行ったとのこと。本作『拭っても、拭っても』で、女優だけでなく小説家としての力量も見事に示した彼女。これからの活躍がますます楽しみである。
(文/長瀬 海)
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