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大阪のおばちゃんの「ヒョウ柄」は、人生をサバイブするための選択【南森町】

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ヒョウ柄といえば大阪のおばちゃん。大阪のおばちゃんといえばヒョウ柄。

このコテコテのイメージは人々の心に深く根付いている。2005年に博報堂生活総合研究所が行った「東西の主要駅と主要路線でアニマル柄着用率を比較する調査」で阪神圏(3.5%)が東京圏(4.3%)を若干下回ろうと、2016年にZOZO(当時はスタートトゥデイ)が行った「ファッション通販サイト『ZOZOTOWN』内でのヒョウ柄購入金額ランキング」で埼玉県が大阪府を抜いて1位であろうと揺らぐことはない。

その証拠に大阪市営地下鉄・堺筋線の扉はヒョウ柄だし、「絡んでくるアイドル」をコンセプトとして60代女性を中心に結成された大阪のご当地アイドル「オバチャーン」の衣装もヒョウ柄だし、NMB48のロゴもヒョウ柄である。

大阪・おばちゃん・ヒョウ柄の三要素はバラエティ番組やお笑いによって強く結びつけられた。2000年のヒョウ柄ブームのさなかでも、レオパードがしばしば登場した2018年秋冬シーズンのコレクションを見ているときでも、私たちの頭の中では架空の「強くて、うるさくて、えげつなくて、おもろい」人物像がうっすらと気配を放つ。とにかくヒョウ柄といえば大阪のおばちゃん。大阪のおばちゃんといえばヒョウ柄なのである。

南森町・天神橋筋商店街には純喫茶が多い。茶色のグラスにレモン味の水が注がれ、ホットケーキにアイスクリームと缶詰の蜜柑がついてくる、クラシックな喫茶店。

その店内に突然、激しいツッコミが響き渡った。

「何言うてんの。世の中コレやでコレ!」

コレというのは、たぶん、いや絶対、「金」のことだろう。ある種の予感めいたものを感じ振り返ると、テーブル席を仕切る観葉植物の陰から伸びた手が、親指と人差し指を輪っかにし、手のひらを上に向けぶんぶんと動いているところだった。

葉の隙間から、視線を感じる。この視線はたぶん、いや絶対、あれだ。ふたたび予感を胸に抱いていると、第六感の通り、植木鉢のジャングルから大きなヒョウが現れた。

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もちろん本物の猛獣ではない。ヒョウ柄を背景に、写実的なヒョウの絵がプリントされたトップスだ。肩にはさらにヒョウ柄のストール。緑色のロングスカートはぎらぎらと光り、すそから尖った靴のつま先が覗いている。

彼女は店の客全員に聞こえるボリュームで、かなりえげつない話をしていた。向かいに座る壮年と中年の間くらいの男性は聞き役に徹している。金の話、金の話、人生の話、金の話、人生の話。金の話。足を組み直す。再び金の話。人生、金、金、人生。

身振り手振りに合わせて、ヒョウの顔が吼えるように動く。

人類は旧石器時代から毛皮を着ていたそうだが、ファッション史で初めてヒョウ柄のプリントをドレスに用いたのは1947年のクリスチャン・ディオールだ。

彼はミッツァ・ブリカールが手首に巻いていたヒョウ柄のスカーフに着想を得て、オリジナルのプリント生地を開発した。生地は「ジャングル」と名づけられ、モデルの身体にしなやかに巻きつけられた。

毛皮の模様がプリントされた生地を身につけることは、毛皮を身に着けるよりも明らかに身軽である。皮の中に肉があり、生命があったであろうことを必ず想起させるリアルファーに対して、命を持たないアニマルプリントは新時代的で、自立しているようにも思える。物理的にもイージーで、縫製も自由自在、どんな動きも妨げない。それでいて野生のパワーを借り、獣になることができる。

質素で慎ましく健康な女性像のみが推奨され、衣服に使用する生地の量が細かく制限(ドレスは2.7m、スーツは3.7m、コートは4.1mまで)された第二次世界大戦の終結から一年半、しかし未だ漂う倹約のムードの中、クリスチャンは初めてのショーでヒョウ柄のドレスを発表した。

「ヒョウが描かれたヒョウ柄プリント」というのは不思議だ。

毛皮の模様をプリントに転換することで軽やかさを追求する一方、ヒョウそのものの絵を用いることで重いインパクトを取り戻す。ヒョウの体毛の模様は狩りのときに草原に身を隠しやすく獲物に見つからないためにあるのに、顔を描き加えてその存在感を強調する。迷彩柄の上に人間の絵を描くような不思議さがある。

模様を身につけることは、自分にヒョウを憑依(駄洒落ではない)させて野生のパワーを注入することに似ている。この場合、自分はヒョウと一体化しているので、「自分=ヒョウ」と「ヒョウの見つめる獲物」の二人が存在する。さしずめクリスチャン・ディオールの言う「強く生き抜く女性」と「彼女の見つめる新時代」の二者だ。

しかし、ひとたびヒョウの顔を描くと、途端に第三者の視線が生まれる。「自分=ヒョウ」が「獲物」と対峙する様子を見つめる誰か――狩りの成功を、しなやかな身のこなしを、躍動する筋肉を見つめ、畏れ、鼓舞し、称える「誰か」の視線が。

いったい誰の視線かというと、私は「おばちゃん」本人のものではないかと思う。うるさい街に暮らし、馴染み、人生のいくつかのシーンで狩りを成功させ、少なくない傷を負いながらも、まあ、何とかやっている。これは別に大阪に限った人生の姿ではない。偶然この土地で「自分の人生を賛歌する」ために選ばれたのが、ヒョウの顔だっただけである。

生い茂ったパキラが揺れ、葉の隙間からヒョウが見え隠れする。全く終わる気がしない、えげつない話がガンガン聞こえてくる。ヒョウと目が合う。おう、何見とんねん。確かにそうだと思い、私は手元のホットケーキに視線を戻す。缶詰のシロップに浸された蜜柑は皮も筋も取られてまろやかだ。しかし、まろやかでは収まりきらない生命力を表明していくことは、生きていくために必要なのかもしれない。

はらだ有彩

関西出身。テキスト、テキスタイル、イラストレーションを作るテキストレーター。デモニッシュな女の子のためのファッションブランド《mon.you.moyo》代表。2018年5月、日本の民話に登場する女の子の心情に寄り添う本『日本のヤバい女の子』(柏書房)刊行。

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