平成最後のJリーグが終盤を迎えている。そして、毎年シーズンが終了すると、多くの選手がピッチを去っていく。サッカー選手の現役としての平均寿命は2、3年と言われるほど短い。一度もピッチに立たず、その名を知られることなく、静かに引退していく選手も多い。
「10年前の2007年にプロとなった選手117人中、21人が一度もピッチに立つことができずに引退した」
昨年度のJリーグ新人研修で、Jリーグ村井満チェアマンが新たにプロとなった新人選手たちに伝えた言葉だ。
日本代表や各クラブの象徴として活躍し続ける選手は一部であり、大半の選手は出場機会を得ることなくセカンドキャリアへ移っていく。
40歳を超えてなお活躍する一握りの存在
それほど生存競争が厳しいプロサッカーだが、一方で40歳になっても第一線で活躍し続けるベテラン選手も存在する。
たとえば、2年前、38歳で長年所属していた横浜Fマリノスからジュビロ磐田に電撃移籍した中村俊輔。元日本代表であり、欧州での活躍を知る人も多いだろう。そんな彼は、左足のキックを武器にするファンタジスタとも称されている。今年40歳を迎えたが、チームに必要不可欠な存在としてピッチに立ち続けている。
他にも元日本代表の中澤佑二(横浜Fマリノス)や楢崎正剛(名古屋グランパス)、川口能活(SC相模原)、伊東輝悦(アスルクラロ沼津)など。そして、サッカー界のレジェンド、カズこと三浦知良は51歳。しかし、彼らのように40歳を超えても第一線で活躍し続ける選手は、例外中の例外だ。
中村俊輔が見せる「変わる」勇気
中村俊輔、38歳での移籍。それは新たな挑戦を新しい環境で試したいという思いからだった。そんな彼はジュビロに加入後、今までとは異なる環境を受け入れることから始めた。住み慣れた土地を離れ、チームメイトに同年代や知っている選手は少ない。今までのプレースタイルを貫くのではなく、求められているものが異なることをまず受け入れた。
それはチームの化学変化として表れる。ジュビロには当時日本代表に選出されるような選手は存在せず、順位も低迷していた。求められているのはプレーとして結果を残すだけでなくチームの意識改革、そして1つ上のレベルへと押し上げること。
彼はその役割を引き受け、練習後には若手に声をかけて居残り練習もした。日本代表のエースとして活躍した選手から直接指導を受けられるシナジー効果は計り知れない。
本来であれば移籍直後で、選手として結果を出すことに集中したいはずだ。だが、彼は自分に求められているものが変われば、それを受け入れチームのために率先して汗をかき続けた。
「攻撃でも自分が動くことで連係の潤滑油になろうとした。そうすることで“衰え”というものは感じたくなかった。それはここでも同じで、ポジション的には無理に動かなくていいところでも、自分でやれることを探していきたいと思ってきた」
(出典元:https://gendai.ismedia.jp/articles/-/52695)
昨シーズン、彼がインタビューで残した言葉から見えてくるのは、衰えを言い訳にせず、進化を止めない姿だ。
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