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ニトリ会長・似鳥昭雄氏の波乱万丈すぎる半生 紛糾の遺産相続まで武勇伝に

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似鳥昭雄氏の著書『運は創るもの』(日本経済新聞出版社)

 

 10月28日放送の『坂上&指原のつぶれない店』(TBS系)に、株式会社ニトリホールディングスの似鳥昭雄(74)代表取締役会長が登場した。ニトリといえば、国内家具業界のトップをひた走り、上場企業初の31年連続増収増益を達成。昭雄氏の資産額は3660億円にものぼり、長者番付13位(2017年)にもランクインしている。

 メディア露出にも積極的な昭雄氏は、この大成功の裏側にある、尋常ならざる苦労話を「持ちネタ」としている、のだが……?

ヤミ米売りさばく極貧少年時代から、上場企業の社長になるまで

 「お、ねだん以上。」のキャッチフレーズでお馴染みの大型家具専門店・ニトリ。いまや誰もが知る大企業だが、その歴史は「似鳥家具店」という北海道の小さな家具屋から始まっている。つまり、創業者の似鳥昭雄会長は一代でニトリを大成長に導いた辣腕経営者というわけだ。

 昭雄氏が、2015年に「日本経済新聞」の名物コラム「私の履歴書」の連載でその半生を語ったところ、「波乱万丈すぎる」「おもしろすぎ」と、話題を呼んだこともあった。

 1944年、樺太で生まれた昭雄氏は、貧しい少年時代を北海道・札幌で過ごす。両親は厳しく、空腹のあまり「もっと食べたい」と言うと、味噌汁をかけられ、殴られたという。小学生時代はヤミ米の配達などで生計を支えていたが、学校では「ヤミ屋、ヤミ屋」と呼ばれ、いじめられていた。中学に進学してもいじめは続き、ヤミ米の配達中に自転車もろとも川へ突き落とされ、死にかけたこともあったという。札幌市内の高校には、ヤミ米を1俵ほど届けて「裏口入学」したというが、やはり境遇は変わらなかったそうだ。

 さらに大学時代には、かなり危険なアルバイトに手を染めていたという。昭雄氏は夜のスナックで未払金の取り立てをしていたというが、当時流行っていた仁侠映画の真似事をして切り抜けたとか。

 このエピソードについては、「現代ビジネス」(2015年4月21日)のインタビューで詳しく語られており、〈回収先の中にはスジの悪い人もいて、危険な思いもたくさんした。ナイフで切られたこともありましたよ。その傷は、今でも残っています〉と豪語。その他ビリヤードやスマートボールで〈一般人相手にわざと負けておいて、賭け金が上がったところで勝ちをかっさらうこともあった〉とも述懐している。

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