ニトリ会長・似鳥昭雄氏の波乱万丈すぎる半生 紛糾の遺産相続まで武勇伝に

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 さて、似鳥昭雄氏の仕事のキャリアについてだが、大学卒業後は父親のコンクリート会社で働くも、ソリが合わず家出。それから職を転々とするのだが、どこにいっても結果を出せず、解雇される放蕩の日々を送っていたという。

 そんななか、親兄弟に借りた100万円を元手にし、23歳で札幌に「似鳥家具店」を開店。数年後には「似鳥家具卸センター株式会社」を設立し、現在の「ニトリ」の前身である家具の卸売りに着手したが、開店当初は赤字続きだった。結婚後、妻の大活躍で売り上げが伸びたものの、競合店が現れて破産寸前にまで陥った。この時期には、自殺を考えたこともあったという。

 どん底にいた昭雄氏の転機となるのは、1972年に借金をしてまで訪れたアメリカでの経験だったという。「現代ビジネス」のインタビューによると、〈たまたま家具業界向けのセミナーに参加し、ロサンゼルスに行ったんです。そこで、日本とアメリカの差を目の当たりにした〉〈当時、アメリカのチェーンストアで売っていたものは衣・食・住すべてが日本の3分の1の価格で販売されていました。しかもあらゆるものが、色やスタイルでコーディネイトされていた〉と、語っている。この頃から、アメリカをお手本に安さを追求し続けた。

 1978年には社名を「株式会社ニトリ家具」に変更、さらに1986年には社名を現在の「株式会社ニトリ」に変え、2002年には東京証券取引所一部に株式上場を達成―――その後の大繁盛は、誰もが知るところだろう。昭雄氏は2016年にニトリの社長職を譲り、ニトリホールディングスの会長職に就いている。

実母・みつ子さんは「死ぬまで会うことはない」

 失敗から成功に転じた昭雄氏の半生が明らかになるや、「根性ありすぎ」「まさに傑出した人物」と、話題を呼んだーーーーのだが、じつはこれには後日譚がある。

 2015年5月、「週刊文春」(文藝春秋)に、昭雄氏の実母・似鳥みつ子さん(当時94)が登場するや、〈あの子は小っちゃい頃から嘘つきなのさ〉〈今回もワルぶって恥ずかしいことばかり書いて。開いた口がふさがりませんよ〉と説教し、昭雄氏の極貧エピソードを真っ向から否定。みつ子さんは昭雄氏に対して、〈死ぬまで会うことはない〉と、キッパリと決別する態度を見せていたのだ。

 さぞや親子仲も悪かろうと思えば、じつは昭雄氏は2007年に、母みつ子さんを含む3人の弟妹から遺産相続をめぐって訴えられている。2011年12月の「女性セブン」(集英社)によると、1989年に実父・似鳥義雄氏が亡くなった際に、昭雄氏はニトリの株をすべて相続したというが、それにみつ子さんらが異論を唱えたという。さらにみつ子さんは、家具屋というアイディアそのものも義雄氏が始めたものと主張しているのだ。

 まさにお家騒動の様相を呈しているわけだが、昭雄氏は身内という身内から訴えられたことまで武勇伝として語り、憚らない。この顛末も含めて、まさに「面白すぎる」というのがニトリ会長・昭雄氏の傑出したエピソード―――と、言えるのだろう。真偽のほどは定かではないが、「私の履歴書」の連載は2015年発売の昭雄氏の著書『運は創るもの』 (日本経済新聞出版社)にまとめられている。ニトリで買い物をする前に、ぜひ一度読んでみてはどうだろうか。
 
(ボンゾ)

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