政治・社会

安田純平氏が「謝罪」を要求されても応じなくていい理由

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なぜ、安田純平氏が責められなければならないのか?

 ダルビッシュ選手が指摘する通り、身を危険に晒してでも現地に行って取材をし、悲惨な現状を白日のもとに晒すことは、世界中の人々の意識を変え、結果的に、苦しんでいる人たちを救うことにもなる。

 安田純平氏たちジャーナリストは、そのような他の人にはできない仕事をしてきたわけだ。

 難民としてギリシャにやってきた人々の苦境を映した作品で2016年にピュリツァー賞を受賞した報道写真家のヤニス・ベラキス氏は、ジャーナリストの仕事についてこのように語っている。

<現場に足を運び、世界の目となり、実際に起きていることを見せたい。そうすれば誰も「知らなかった」とは言えませんから。私が撮る写真は見ていて心地良いものではありませんが、人は顔を背けず事実を知るべきです。この世界で起きている現実に目をつむることはできません>(2017年8月19日付「ビッグイシュー・オンライン」より)

 安田純平氏もまた、苦しんでいる人々の状況に光を当て、まさに国際社会が「知らなかった」とは言わせないための活動をしてきた。その仕事に対して、敬意を払うどころか、寄ってたかって責め立てるような振る舞いにでるとはいったいどういうことなのだろうか?

 国際社会でなにが起きていようとどうでもいい、世界のどこかで苦しんでいる人がいようと知ったことではない、とにかく俺たちに迷惑をかけるな──そういった狭い了見で、弱者を救うために命を張った安田純平氏に「自己責任」を振りかざす人たちは、もしもシリアの人たちのような苦境に陥っても誰からも救いの手が差し伸べられなかったときにどう感じるか、少しは想像を働かせてみてはどうだろうか。そして、彼らジャーナリストの仕事の意義について考えるべきである。

(倉野尾 実)

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