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オウム死刑囚“大量執行”が意味するものと被害者遺族の高齢化

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法社会学者・河合幹雄の「法“痴”国家ニッポン」

第1回 2018年7月、オウム死刑囚“大量執行”が意味するものと、被害者遺族の高齢化

 こんにちは、法社会学者の河合幹雄といいます。

「外国人の流入により日本の治安は悪化している」
「少年犯罪は凶悪化している」
「高齢者の引き起こす交通事故が激増している」
「児童虐待で亡くなる子どもが増えている」

 犯罪に関して現在の日本には、こうした物言いがあふれています。しかし、基本的にはどれも誤りです。むしろ、事実とは真逆とさえいっていいものもある。

 では、犯罪データやその他客観的資料を参照すればすぐに誤りだとわかるこれらの物言いが、巷間にあふれるのはなぜなのか? 単に誤りを正すだけではなく、なぜそうした誤りが流布してしまうのかを含めて考えることこそ、大切ではないのか?

 この連載「法“痴”国家ニッポン」では、「月刊サイゾー」(小社刊)に執筆していた同連載を引き継ぐ形で、このような疑問を常に念頭に置きながら、日々の事件やニュースに解説を加えていきたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

被害者遺族の年齢も考慮してのことか

 さて、少し前の話になりますが、2018年7月6日、オウム真理教による一連の事件で死刑が確定した元代表の松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚と元幹部ら計7人、続いて同月26日には残る6人に対する死刑が執行されました。同月中に13人、同一の刑場で1日に3人もの死刑が執行されるというのは、戦後前例のない事態。1995年の地下鉄サリン事件から23年、2006年の麻原の死刑確定から12年が経過したこのタイミングで、なぜ政府は前代未聞の一斉執行に踏み切ったのでしょうか。

 死刑執行命令書にサインした上川陽子法務大臣(当時)は7月6日の7人執行後の記者会見で、この時期に執行した理由について、「個々の死刑執行の判断に関わる事項についてのお答えは差し控えたい」と、コメントを避けました。一方メディアの多くは、政府関係者による「平成の事件は次の時代に持ち越さないほうがいい」といったコメントを引き合いに出し、来たる2019年は天皇の“代替わり”の慶事があることもあり、「平成の事件は平成のうちに区切りをつけるべきだ」という政府の意向が働いた……といったような見方を示しています。

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2018年7月6日、配布される読売新聞の号外(写真:AP/アフロ)

 ただ、そうした見解は、私からすると少々うがちすぎというか、理由としては後づけのように思われます。そもそもわが国の司法には、各時代の代表的事件を次の時代まで持ち越さない、などという慣例はない。というよりその発想自体、天皇が退位の意向を示し、2019年4月に平成が確実に終わるとわかっているという、現在の特殊な状況がなければ出てこないはず。そう考えると合理的な理由であるとはいえず、やはり今回限りの口実にすぎないと見るのが妥当だと思います。

 それよりも、司法関係者の話などを総合すると、一連の事件から四半世紀が経過したことによる被害者遺族の高齢化を考慮して、という理由が大きかったようです。2015年に実施された内閣府による死刑制度に関する世論調査では、死刑の存廃について「死刑もやむを得ない」と答えた者の53.4%が、「死刑を廃止すれば、被害を受けた人やその家族の気持ちがおさまらない」という理由を挙げています。そのように現状、被害者遺族の懲罰感情を満たすことは、死刑存置の大きな理由のひとつと考えられている。政府としては、被害者遺族がひとりでも多く存命している間に、そうした「国民の要求」に応える必要があった。遺族が本当は何を望んでいるかはともかくとして、それが政治の仕事というわけです。

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河合幹雄

1960年生まれ。桐蔭横浜大学法学部教授(法社会学)。京都大学大学院法学研究科博士課程修了。社会学の理論を柱に、比較法学的な実証研究、理論的考察を行う。著作に、『日本の殺人』(ちくま新書、2009年)や、「治安悪化」が誤りであることを指摘して話題となった『安全神話崩壊のパラドックス』(岩波書店、2004年)などがある。

twitter:@gandalfMikio

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