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坂元裕二が『東京ラブストーリー』から「社会派作家」に変貌した理由

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『プロフェッショナル 仕事の流儀』(NHK)番組ホームページより

 脚本家の坂元裕二氏が『プロフェッショナル 仕事の流儀』(11月12日放送/NHK)で初めてドキュメンタリーのカメラの密着を許し、作品を書き上げる舞台裏を明かした。

 坂元裕二氏は、『Mother』(日本テレビ)、『それでも、生きてゆく』(フジテレビ)、『最高の離婚』(フジテレビ)、『Woman』(日本テレビ)、『カルテット』(TBS)、『anone』(日本テレビ)など数々のヒット作を手がけてきた。

 坂元裕二氏の書く作品は、テレビの連続ドラマのなかでは異質で、家庭内暴力や犯罪者家族などを題材にすることから、時に「社会派作家」とも呼ばれる。

 実際、坂元裕二氏は作品を書き上げるモチベーションについて『プロフェッショナル』のなかで、<多数派か少数派かっていったら、少数派のために書きたい。こんなふうに思う人は少ししかいないっていう人のために書きたい。『ああ、私だけが思ってたんじゃなかったんだ』って。10元気な人が100元気になるための作品はたぶんたくさんあるけど、僕は、マイナスにいる人がせめてゼロになる、マイナス5がマイナス3ぐらいになるとか、そこを目指しているから>と語り、社会のなかで「疎外感」を抱いている人たちの癒しのために物語を紡いでいるのだと語っている。

 ただ、坂元氏は最初からそういった作家性をもっていたわけではなかった。坂元氏がメディアで脚光を浴びはじめたのは、1991年の大ヒット作『東京ラブストーリー』(フジテレビ)の脚本を担当してから。それ以降はトレンディドラマの名手として多くの作品を手がけることになるが、その一方で坂元氏の胸中は複雑だった。軽薄なトレンディドラマを書くことに対して「自分が書きたいのはこれではない」という思いが生まれ、仕事に対しての戸惑いは徐々に嫌悪感へと変わっていった。

 そこで坂元氏は脚本家休養の宣伝をして、1996年にいったんテレビの世界から離れることになる。

 その後の作家人生は悩みとともにあった。映画をつくったり、小説を書いたりと、新しい創作の道を探るが(『プロフェッショナル』では触れられなかったがテレビゲームに関わる仕事をしていた時期もある)、映画は芳しい評価を得ることができず、小説にいたっては3年にわたってひとつの作品にかかりきりになっていたものの、結局は完成させることすらできなかった。

 そして、2002年に再びテレビドラマの世界に戻ってくることになる。

坂元裕二の転機となった『Mother』はなぜ生まれたのか

 テレビの仕事を再開するようになった後、坂元氏の転機となったのは2010年に手がけた『Mother』だった。

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