重大犯罪を犯す精神障害者 処遇改善200年の歴史を持つ英国と、「人権無視」で思考停止のニッポン
連載 2018.11.20 06:15
死者2名を出した“宇都宮病院事件”の背景にあるもの
さて、わが国ではどうかというと、触法精神障害者の問題は、タブーとして社会の片隅に追いやられてしまい、現実に即した真剣な議論はほとんど行われてこなかったというのが実情です。先に述べたように、精神障害者が重大な犯罪を起こしたときのみ、ジャーナリズムは大きな問題として扱いはしますが、たいていはすぐに忘れられてしまうのが常なのですから。
これに対して、“人権派”の弁護士や精神科医は、触法精神障害者に対して特別な規定を設けることに、常に反対を唱えてきました。「精神障害者が犯罪を起こしたというだけで、長期間予防的に拘禁するような法律は、まったくの人権無視でとんでもないものだ」というわけです。特に、いわゆる「反精神医学」を信奉する精神科医たちの主張は、かなり強硬なものといえました。
しかし、彼らの主張は巧妙な議論のすり替えであり、問題の先送りや思考停止に過ぎないのではないでしょうか。精神障害者を処遇するにあたって人権を重視することに異論のある人はほとんどいないでしょう。しかし問題はその点にはないのです。毎年数百人に及ぶ精神障害者が重大犯罪を起こしている。そのような彼らに対する適切な治療システムが存在しないことこそが、もっとも大きな問題なのです。
司法当局の対応にも、われわれ精神医療に携わる者からすれば納得のいかない点が多く存在しました。2001年に大阪府で起きたいわゆる“池田小事件”をきっかけとして「医療観察法」が成立するまで、触法精神障害者は「措置入院」という制度によって、その処遇は一般の精神病院に一任されていましたし、ある程度司法の介入がシステム化された法律制定後の現在でもなお、そのような傾向は強い。患者がいったん精神病院に入院すると、どんな重大な犯罪を起こした経歴があったとしても、以後、司法機関が関与することはまったくなくなり、まさに“放置”状態にあったのですから。
つまり日本においてはごく最近まで、どんな重罪を犯した患者であっても、病院からの退院、あるいは通院に関する決定は、すべて精神病院のみに任されていたのです。したがって、例えば殺人事件を犯した患者が、起訴後、刑事裁判によって「心神喪失」と判断され精神病院に入院となっても、その後、なんとわずか数か月で退院してしまう……といったような事例もしばしば起こっていたのです。
もちろん、そのような状況に対しては、各方面から異論が上がってはいました。「病院は、無責任に再犯の危険が高い患者を野に放っているのではないか?」「短期間で退院させ、きちんとした治療は行われたのか?」等々……。
しかし、精神医療の立場からすればそのような批判は、的外れとはいわないまでも、納得がいかない点も多いのです。というのも、当然ながら病院の目的は「疾患の治療」であって「拘束」ではありませんから。
したがって、たとえどのような犯罪歴があったとしても、病状がよくなれば外出も許可をするし、退院させることだってあります。重罪を犯した既往歴があったとしても、無期限に退院を延長することなど、病院の立場からすれば非常に困難です。法律の規定がなければ、退院後の外来通院を義務づけることだってできません。
つまり病院の立場からすれば、もし長期の強制入院がどうしても必要ということならば、そのための法律的な根拠が必要なのです。単に「再犯の恐れがある」というだけで、病院がいつまでも行動を制限するならば、それこそが人権的な問題となるでしょう。
では、実際のところ日本における触法精神障害者は、これまでどこで治療を受けていたのでしょうか。実のところ彼らの一部は、比較的医療スタッフの充実した国公立の精神病院に入院することが多かった。そしてさらに一部の患者は、リスクの高い患者の受け入れを拒まない一部の私立精神病院で治療を受けることもありました。
そうした“一部の私立の精神病院”の代表的なものが、1983年に死者2名を出し、患者への暴行や虐待で大問題となった宇都宮病院です。つまり宇都宮病院におけるあのスキャンダルは、単に一部の経営者や医師の特殊な問題ではなかった。そうではなく、これまで述べてきたような、日本における触法精神病患者をめぐる精神医療が背負わされてきた構造的な問題の、ひとつの“象徴”であったのです。
英国においても、冒頭で述べたような収容型の特殊病院の機能は縮小されつつあり、社会復帰を念頭においた地域保安病棟が処遇の主役になりつつあります。日本においても、先述した「医療観察法」の制度運営がこの先本当に機能するかどうか。慎重に見守ることが必要でしょう。