重大犯罪を犯す精神障害者 処遇改善200年の歴史を持つ英国と、「人権無視」で思考停止のニッポン

連載 2018.11.20 06:15

岩波明「精神“異”学~忘れられた治療法~」

――現在の精神医療は、どのような変遷を経て今に至っているのか? 今では否定されている治療法が、当時行われていたのはなぜなのか? 現役の精神科医が解説する、精神医学の“歴史考証”!

第1回 重大犯罪を犯す精神障害者 処遇改善200年の歴史を持つ英国と、「人権無視」で思考停止のニッポン

 こんにちは、精神科医の岩波明といいます。この連載では、雑誌「月刊サイゾー」(小社刊)にて連載していた「精神“異”学~忘れられた治療法~」を引き継ぐ形で、精神医学上のある特定分野の歴史を紹介したり、あるいは今では否定されている精神医学上の治療方法について解説を加えたりしていきたいと考えています。

 実は精神医学は、近代医療的な見地から見た場合、他の医療分野に比べてまだ歴史が浅く、病気について未解明な部分も多い。抗精神病薬などを用いた薬物治療が本格的に開始されたのも、1950~60年代あたりと、長い医療の歴史で見ればつい最近のことです。

 ゆえに、現代の医療の常識から考えれば当たり前のことが少し前までは行われていなかったり、逆に現代の観点から見れば非常識なことが、ほんの少し前の時代には当たり前に患者に対して施されていたりもしました。

 だからこそ、そのような精神医療の歴史をひもとき、読者のみなさんが少しでも精神医療について考える一助となりたい。そのような思いを込め、この連載を始めたいと思います。第1回のテーマは、「特殊病院」です。

犯罪を起こした精神障害者のための専門施設

 英国の「特殊病院」は、巨大な“収容施設”として建造されました。その代表的なものが、19世紀半ばに開設されたブロードモア特殊病院(現在のブロードモア高度保安病院)です。この病院は、犯罪を起こした精神障害者の収容施設であり、他者に危害を及ぼすリスクが高い精神障害、パーソナリティー障害(精神病質)の患者の収容と治療が行われてきました。

19世紀後半当時の「Broadmoor Criminal Lunatic Asylum」を描いた絵画。ストレートに訳せば、「ブロードモア犯罪狂人収容所」となる。(画像は英国版WIKIPEDIAより)

 英国においては、刑事事件の裁判により犯罪事実が認められた精神障害のある被告に対して、裁判所の判断によって、刑事処罰の代わりに病院における「治療命令」が下されることがあります。この点は日本における裁判制度と類似しているのですが、日本と異なる点は、犯罪を起こした精神障害者のための専門の施設が存在してきた点です。

 ブロードモア特殊病院が開設されたのは、前述の通り19世紀になってからですが、それ以前の時代においても英国では、触法精神障害者の処遇については活発な議論が行われてきました。“世界最古の精神病院”といわれている 同国のベスレム王立病院でも、ある時期においては、触法精神障害者の収容を行っていたのですから。

 20世紀の中頃までに、英国全体で特殊病院が合わせて4病院開設され、全体の収容人数は2000人以上にも及びました。けれどもその運営は容易ではなかった。なぜならその多くが暴力傾向が強く、また容易に退院ができない患者も大部分を占めていたため、トラブルが頻発したのです。

 このため、特殊病院からの退院を促し早期社会復帰を実現させるため、地域の精神科病院に新たな小規模の病棟が設置されるようになります。これが「地域保安病棟」です。特殊病院で症状の改善が見られた者、あるいは比較的症状の軽症の者は、この地域保安病院で治療を行い、社会生活を促す方向が示されたわけです。

長い歴史を持つ、欧米における触法精神障害者の処遇問題

 重大な犯罪を起こした精神障害者をどのように扱うかという問題は、検察、裁判所などにおける司法的な問題であると同時に、精神医療の問題でもあります。彼らをどのように裁くかということは社会的に重要な課題であると共に、医療的にその処遇や治療をどのように行うかという視点も忘れてはならないでしょう。

 触法精神障害者は、犯罪の加害者であると同時に、精神疾患という病に苦しむ患者でもあります。ゆえに、そのどちらか一方のみを強調することは公平さに欠けるといえます。けれども現実には、問題とされるのは、加害者としての「罪」の部分であることが多いのです。

 重大な犯罪事件が精神疾患の当事者によって引き起こされると、しばしば、一挙にマスコミの論調は厳しいものとなります。「このような危険な患者をどうして放置したのか?」と、行政や精神医療に対する批判がさかんに行われるのを、何度もご覧になったことがあるでしょう

 それに対して今度は“人権派”の論者たちによって、お決まりの“反論”が繰り返されるのもいつものことです。しかし、また別の重大ニュースが報じられると、「精神障害者による犯罪」という既視感のあるフレーズはすぐに忘れ去られてしまう。こうして、基本的な問題について論じられることのないまま時が過ぎてゆくのです。

 忘れてはならない点は、古い時代も現在も、そしてこれから先の未来においても、被害妄想など病的な精神症状に基づく精神障害者による犯罪は、必ず存在するという点です。けれども熱しやすく冷めやすい日本のマスコミは、重大な犯罪事件が起きたそのときのみ、やおらこの問題がずっと存在し続けていたかのように報道してしまいがちなのです。

 欧米では長い年月をかけ、触法精神障害者の処遇に関し、司法機関と医療施設とが互いに協力しながら解決を図っていく方法が採られてきました。さらに政治や行政においても、この問題を正面からきちんと議論してきた歴史が存在しています。

現在の、「ブロードモア高度保安病院」のビジター向けリーフレット(同病院の公式サイトより)

 もっともその時代時代によって、患者の処遇はさまざまではありました。保安に力点が置かれることもあれば、障害者に対する医療の側面が強調されることもあった。そうした中で、イギリスにおける「特殊病院」や「地域保安病棟」などの触法精神障害者のための専門施設が設置され、一般の精神科患者とは別に処遇されるようになっていきます。またこうした流れと共に、「司法精神医学」という精神医学のいち分野が発展してきたという歴史の積み重ねがあるのです。

 さらに欧米においては、犯罪行為を起こした精神障害者の強制入院の手続きは医療機関ではなく裁判所の命令で行われ、患者の退院の決定や外来におけるフォローアップについても、司法や行政機関が強い権限を持つことが 主流となっています。

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岩波明

2018.11.20 06:15

1959年、神奈川県生まれ。精神科医。東京大学医学部卒。都立松沢病院をはじめ多くの精神科医療機関で診療に当たり、現在、昭和大学医学部精神医学講座教授にして、昭和大学附属烏山病院の院長も兼務。近著に『殺人に至る「病」~精神科医の臨床報告~』 (ベスト新書)、『精神鑑定はなぜ間違えるのか?~再考 昭和・平成の凶悪犯罪~』(光文社新書)などがあり、精神科医療における現場の実態や問題点を発信し続けている。

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