“逃走犯”を生んだ大阪・富田林署、1989年建造の老朽化とお粗末なルール運用

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ハードの不備は、“運用”で補えたのでは?

 それならやはり国民は、今回のような逃走事件がいつ起きてもおかしくないという不安を常に抱えながら暮らさなければならないのか。実はそうではないというのが大事なところです。それを何よりも雄弁に物語っているのが、統計データ。平成以降、刑務所などの刑事施設からの逃走事件は年平均1件程度、留置場からの逃走事件に至っては前代未聞というレベルです。今回の逃走事件はそれぐらいのレアケースだということを、まずは理解しておく必要があります。

 だとすると、設備に問題のある留置場は少なくないのに、なぜ逃走事件が発生しないのでしょうか。それは、そうした問題のほとんどが、適切な人員配置やルールづくりといった運用面で十分にカバーできるものだからです。これは富田林署のケースについてもいえること。接見終了時に弁護士から署員に声をかけることや、留置中の容疑者を居室から出入りさせる際に署員2人以上で対応することなどの内規を遵守してさえいれば、あのような事態は起こり得なかったでしょう。

 以上のように考えたとき、われわれがこの事件から学ぶべきこととは何か。ひとたびこうした事件が発生すると、人々の批判の矛先は、やれブザーの電池を抜いていたとか、やれアクリル板の強度を確かめていなかったとか、そういうわかりやすい、すぐ目につく問題ばかりに向けられがちです。

 しかし、治安維持という大局的な観点からいうと、個々の人員の無能や怠慢、施設の不備といった問題は、あくまで表面的・局所的なものであって、本質的ではない。設備や人員に問題があるならば、その実情を把握した上で、不備を補うべくルールをつくったり、人員を配置転換したりしてうまく回るよう運用していけばいいだけの話です。

 今回の事件から見えてくる真の問題とは、まさにそういう運用が可能なシステムを備えている日本の警察のような組織においてさえも、そのシステムのおかげで逃走事件のようなミスが発生しなくなると、次第にシステムそのものの存在が忘れられ、どうしても組織にゆるみが生じてしまうこと。そして結果的に、その小さなほころびから、本来なら起こり得ないような事件が起きてしまうということです。その意味では、警察のみならず、全国の企業や一般自治体など、あらゆる組織にとって示唆に富んだ事例であるといえるでしょう。

(構成/松島 拡)

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