母から虐待されてなお、自分の息子にもビンタが止まらなかった元・保育士が語る“虐待根絶のカギ”

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夫の身勝手な「ゴムなしセックス」で妊娠

 長男の発達が遅めであることを、どうしても認めたくない。その原因は、妊娠の経緯にあったのかもしれないとリカコさんは振り返る。

「結婚は25歳のときでしたが、急いで子どもをつくるつもりはありませんでした。なのに、新婚旅行で夫が勝手に『ゴムなしセックス』を強行して授かってしまったんです。せっかくのバカンスに生理がかぶらないように、避妊薬を飲んで周期をずらしていたというのに……。それで、妊娠がわかったときにドクターから『何度か流してからがよかった』と言われたんですよね。ボソリとつぶやかれただけなので詳しくは確認できなかったのですが、きっと、数カ月の間は生理の経血で薬の成分を体内から追い出したほうが、障害を持った子が生まれるリスクを減らせる……といったようなことだったのだと理解しています」

 もしこの子に障害があったら、自分のせいだ。不安と後悔にさいなまれる日々。

「ちゃんと親になる“心の準備”ができていない状態で親になったから、『ちゃんとかわいがってやれないんじゃないか?』みたいな罪悪感も抱え続けてきました」

 わが子を愛していないわけじゃない。責任感の強いリカコさんは、むしろ完璧に愛したかったのだ。

 リカコさんが長男を出産した1990年といえば、おりしも国が少子化・子育て支援対策に本格的に乗り出した「子育て支援元年」にも当たる。前年の合計特殊出生率(一人の女性が出産可能とされる15歳から49歳までに産む子どもの数の平均)が、当時の過去最低であった1966年の1.58人をさらに下回ったことが判明、その「1.57ショック」を受けてのことだった。

 スタートしたばかりのこの政策は、育児相談などの具体的な形をまだ伴ってはいなかった。

「保育士という職業柄、保健所などで相談しても『子ども教育のプロなんだから大丈夫でしょう~!』みたいに、真剣に対応してもらえなかったのはちょっとつらかったですね。長男の発達については、ゆくゆくは問題がなくなるレベルだったと思いますが、グレーゾーンだからこそ心配だったというか」

 身近な人を頼ろうにも、自分を追い込んだ張本人である親には相談できない。職場であった保育園の園長からは、「まだ産休はないって言ってたのに」と、嫌みを言われたこともあり、悩みを話すのは躊躇してしまう。唯一味方であってほしかった夫は、家事と育児には加わらずマイペース。今のようにネットの掲示板やSNSで相談するという手もなく、リカコさんは孤独だった。

 苦しかったとき、リカコさんが求めたのはなんだったのか?

「もし、夫がもっと人をいたわるような感情を持ってくれていたら、きっと子どものことも受け入れられたと思います。まあ夫に対して『人に依存するな!』とか、それ自体、自分が精神的に成熟していないからこその発言だといえば、それまでですが」

 次男を出産したときは、「欲しい」と考えたときに子作りできたので、暴力は振るわずにすんだ。しかし、長男への罪悪感は消えない。それを埋めるため、長男の誕生日には気合いを入れて豪華なプレゼントを買ったり、夏休みや冬休みなどの長期休暇にはお金をかけて遊びにいったりしたという。それが正しいのかは誰にもわからない。しかし、長男にはその思いが伝わる部分もあったのだろう。

「その後は夫とも離婚して、いろいろ申し訳ないことをしてしまいましたが……。それでも彼が20代後半になって、子育てを振り返って話したとき、『仕方ないよ』と親心をわかってくれたのはうれしかったです。ただ、安心して新しいことにチャレンジできなかったり物事を継続できなかったりするのは、私の育て方の悪影響だったのではと思っています」

 今でも悔やむことは多いし、両親とは絶縁状態だ。でも、立ち止まるわけにはいかない。

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