
ディズニー公式サイトより
皆さんはシンデレラの話はお好きですか? シンデレラというと、1950年のアニメ映画『シンデレラ』を想像する人が多いと思います。お城に素敵なドレス、舞踏会、王子様との結婚……という内容は女の子の憧れをかきたてる内容で、とても人気があります。
一方でこの映画は、題名を聞いただけでうんざりするという人がいるくらい、嫌われている作品でもあります。大人しく受動的なヒロイン像、結婚が女性の幸せの全てであるかのような展開、意地悪で可愛くない義理の姉たちの容姿差別的な描き方などは「ディズニープリンセスの中でも最も退行的なファンタジー」だと厳しく批判されてきました。ディズニーはおそらくこうした批判に答えるべく、2015年にケネス・ブラナーを監督に、リリー・ジェームズやケイト・ブランシェットなど女性に人気のある女優をキャストに迎えて実写版を作りましたが、新解釈が加えられているにもかかわらず、それでも古くさいという批判は免れませんでした。
しかしながら、『シンデレラ』はディズニーの所有物ではありません。それ以前から長く語り継がれていた物語です。ディズニーがこの話を型にはまったお姫様ファンタジーにしてしまう前には、もっと多様な形の物語が流通していました。今回の記事では、ディズニーがいかに民話を歪めてしまったのかを知るべく、シンデレラのもとになったお話をたずねていきたいと思います。
ルネサンスの強烈なシンデレラ
シンデレラに似た民話、つまり虐待されている若い女性が苦労の末、なんらかの助けを受けて幸せな花嫁になるという形のお話は、世界中に広く分布しています。多少形は違いますが、古代地中海世界で流通していた高級娼婦ロドピスの物語が、現在残っているシンデレラ型の話としては一番古いのではないかと言われています。中国の「葉限」というお話は現在我々が知っているシンデレラにかなり近い内容ですが、9世紀までさかのぼることができます。
ヨーロッパで文献として残っている最も古いシンデレラ物語は、ナポリの文人ジャンバッティスタ・バジーレが17世紀初め頃に記したものです。バジーレによる民話集『ペンタメローネ』(五日物語)は著者の死後である1634年から1636年にかけて刊行されました。これはルネサンスの生き生きした人間描写が楽しめる作品集で、2015年には一部が『五日物語――3つの王国と3人の女』として映画化されています。この映画には入っていませんが、『ペンタメローネ』1日目第6話の「灰かぶり猫」(チェネレントラ)はシンデレラの物語です。
「灰かぶり猫」のヒロインであるゼゾッラは、ディズニーのヒロインとは似ても似つかない強烈な女性です。ゼゾッラはナポリ大公の娘で継母にいじめられており、自分を可愛がってくれる裁縫の家庭教師カルモジーナと共謀して、衣装箱の重いフタを使って継母の首を折って殺害します。大公はゼゾッラのすすめでカルモジーナと再婚しますが、この新大公妃は連れ子である6人の娘とともに宮殿で我が物顔にふるまい、手のひらを返すようにゼゾッラを虐待して灰かぶり猫と呼ぶようになります。
大公が公務で出かけた際、ゼゾッラは妖精に言付けを頼みます。妖精はゼゾッラに金色のナツメの木とそれを育てる道具を贈ります。ゼゾッラがこの木を植えて大事に世話すると、中から妖精が出てきてドレスなどを提供してくれるようになります。ゼゾッラはそれを着て出席したパーティで王の目に止まります。王はゼゾッラの足から脱げてしまった木靴の片方を手がかりに謎の美女を探そうと決め、ナポリ中の娘に靴を履かせて最後にゼゾッラにめぐりあいます。
この話のポイントとしては、登場人物に名前があり、民話にしては人物の性格がはっきりしていることがあげられます。ゼゾッラは何しろ最初の継母を殺害していますし、いろいろな手管で王の気を引いたり、出し抜いたりする機転の利くセクシーな女性です。王がゼゾッラを見つけるくだりでも、「一目でお目当ての乙女とお分かりでしたが、そこは黙っておいて」(バジーレ、p. 70)ゼゾッラに靴を履かせるパフォーマンスをするという描写があり、現代人がよくシンデレラ物語に抱く「なんで顔を見るのではなく靴で探すのか」という疑問を払拭してくれる辻褄合わせもしています。おそらく、優れた詩人だったバジーレが、ルネサンス末期からバロックの時代の趣味にあわせて力をこめて味付けしたのでしょう。
ペローとグリム
ゼゾッラはディズニープリンセスとはかけ離れたたくましい女性でした。しかし1697年に出たシャルル・ペローの童話集ではディズニーに近いヒロインが出てきます。
ヒロインである「灰っ子」ことサンドリヨンは「ほかに例のないほど優しい、親切な心の持主」(ペロー、p. 212)です。泣いていたら名付け親にあたる仙女が助けに来てくれるだけであまり行動的ではなく、復讐をたくらむこともなく、自分をいじめた2人の姉によい縁談を世話してやることまでします。ペロー版では最後に美しさより良い心がけを大事にすべきだとか、名付け親選びは重要だということを説明する教訓的な詩がついていて、この教えに沿った内容になっていると言っていいでしょう。ガラスの靴が登場することも含めて、ディズニーの映画はペローの影響を強く受けています。
1812年に初版が刊行され、1857年まで何度か改版された『グリム童話』に収録されている灰かぶりの物語は、バジーレ版とペロー版の両方に似ているところがありますが、違いもあります。
グリム版はヒロインの実母が病気になり、天国から娘を守ってやると言い残して亡くなるところから始まります。父が外出した際におみやげとして木(グリム版ではハシバミ)をもらうところはバジーレに似ていますが、灰かぶりはこれを母の墓に植えて涙で育てます。そのおかげでこの木にとまる鳥が灰かぶりの言うことを聞いてくれるようになり、ヒロインはドレスや靴を出してもらってパーティに出かけます。鳥が出してくれた金の靴の片方が王子の手にわたり、この靴があう女を王子の花嫁にしようということになります。灰かぶりの継母は実の娘2人の足を切って無理矢理靴を履かせようとしますが、鳥たちが王子に告げ口して工作がバレてしまいます。さらに王子と灰かぶりの結婚式では鳥たちがこの義理の姉妹2人の両目をつついて失明させてしまいます。
グリム版の鳥たちの働きはとくに灰かぶりが命じたものではないのですが、展開からして亡くなった実母の怨念のようなものが鳥たちを動かしてヒロインを守っているらしいことが推測できます。また、ハシバミの枝を母の墓に埋めるというのは遺産を受け継ぐことを象徴しているのではないかと言われており、グリム版は灰かぶりが奪われていた母の遺産を取り戻して成功する物語として解釈できます。グリム版では、母と娘の絆が比較的強調されていると言ってよいでしょう。
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