ディズニーに乗っ取られたシンデレラ~民話の変貌をたどる

連載 2018.12.10 07:15

ディズニー公式サイトより

 皆さんはシンデレラの話はお好きですか? シンデレラというと、1950年のアニメ映画『シンデレラ』を想像する人が多いと思います。お城に素敵なドレス、舞踏会、王子様との結婚……という内容は女の子の憧れをかきたてる内容で、とても人気があります。

一方でこの映画は、題名を聞いただけでうんざりするという人がいるくらい、嫌われている作品でもあります。大人しく受動的なヒロイン像、結婚が女性の幸せの全てであるかのような展開、意地悪で可愛くない義理の姉たちの容姿差別的な描き方などは「ディズニープリンセスの中でも最も退行的なファンタジー」だと厳しく批判されてきました。ディズニーはおそらくこうした批判に答えるべく、2015年にケネス・ブラナーを監督に、リリー・ジェームズやケイト・ブランシェットなど女性に人気のある女優をキャストに迎えて実写版を作りましたが、新解釈が加えられているにもかかわらず、それでも古くさいという批判は免れませんでした。

 しかしながら、『シンデレラ』はディズニーの所有物ではありません。それ以前から長く語り継がれていた物語です。ディズニーがこの話を型にはまったお姫様ファンタジーにしてしまう前には、もっと多様な形の物語が流通していました。今回の記事では、ディズニーがいかに民話を歪めてしまったのかを知るべく、シンデレラのもとになったお話をたずねていきたいと思います。

ルネサンスの強烈なシンデレラ

 シンデレラに似た民話、つまり虐待されている若い女性が苦労の末、なんらかの助けを受けて幸せな花嫁になるという形のお話は、世界中に広く分布しています。多少形は違いますが、古代地中海世界で流通していた高級娼婦ロドピスの物語が、現在残っているシンデレラ型の話としては一番古いのではないかと言われています。中国の「葉限」というお話は現在我々が知っているシンデレラにかなり近い内容ですが、9世紀までさかのぼることができます。

 ヨーロッパで文献として残っている最も古いシンデレラ物語は、ナポリの文人ジャンバッティスタ・バジーレが17世紀初め頃に記したものです。バジーレによる民話集『ペンタメローネ』(五日物語)は著者の死後である1634年から1636年にかけて刊行されました。これはルネサンスの生き生きした人間描写が楽しめる作品集で、2015年には一部が『五日物語――3つの王国と3人の女』として映画化されています。この映画には入っていませんが、『ペンタメローネ』1日目第6話の「灰かぶり猫」(チェネレントラ)はシンデレラの物語です。

「灰かぶり猫」のヒロインであるゼゾッラは、ディズニーのヒロインとは似ても似つかない強烈な女性です。ゼゾッラはナポリ大公の娘で継母にいじめられており、自分を可愛がってくれる裁縫の家庭教師カルモジーナと共謀して、衣装箱の重いフタを使って継母の首を折って殺害します。大公はゼゾッラのすすめでカルモジーナと再婚しますが、この新大公妃は連れ子である6人の娘とともに宮殿で我が物顔にふるまい、手のひらを返すようにゼゾッラを虐待して灰かぶり猫と呼ぶようになります。

大公が公務で出かけた際、ゼゾッラは妖精に言付けを頼みます。妖精はゼゾッラに金色のナツメの木とそれを育てる道具を贈ります。ゼゾッラがこの木を植えて大事に世話すると、中から妖精が出てきてドレスなどを提供してくれるようになります。ゼゾッラはそれを着て出席したパーティで王の目に止まります。王はゼゾッラの足から脱げてしまった木靴の片方を手がかりに謎の美女を探そうと決め、ナポリ中の娘に靴を履かせて最後にゼゾッラにめぐりあいます。

この話のポイントとしては、登場人物に名前があり、民話にしては人物の性格がはっきりしていることがあげられます。ゼゾッラは何しろ最初の継母を殺害していますし、いろいろな手管で王の気を引いたり、出し抜いたりする機転の利くセクシーな女性です。王がゼゾッラを見つけるくだりでも、「一目でお目当ての乙女とお分かりでしたが、そこは黙っておいて」(バジーレ、p. 70)ゼゾッラに靴を履かせるパフォーマンスをするという描写があり、現代人がよくシンデレラ物語に抱く「なんで顔を見るのではなく靴で探すのか」という疑問を払拭してくれる辻褄合わせもしています。おそらく、優れた詩人だったバジーレが、ルネサンス末期からバロックの時代の趣味にあわせて力をこめて味付けしたのでしょう。

ペローとグリム

 ゼゾッラはディズニープリンセスとはかけ離れたたくましい女性でした。しかし1697年に出たシャルル・ペローの童話集ではディズニーに近いヒロインが出てきます。

 ヒロインである「灰っ子」ことサンドリヨンは「ほかに例のないほど優しい、親切な心の持主」(ペロー、p. 212)です。泣いていたら名付け親にあたる仙女が助けに来てくれるだけであまり行動的ではなく、復讐をたくらむこともなく、自分をいじめた2人の姉によい縁談を世話してやることまでします。ペロー版では最後に美しさより良い心がけを大事にすべきだとか、名付け親選びは重要だということを説明する教訓的な詩がついていて、この教えに沿った内容になっていると言っていいでしょう。ガラスの靴が登場することも含めて、ディズニーの映画はペローの影響を強く受けています。

 1812年に初版が刊行され、1857年まで何度か改版された『グリム童話』に収録されている灰かぶりの物語は、バジーレ版とペロー版の両方に似ているところがありますが、違いもあります。

 グリム版はヒロインの実母が病気になり、天国から娘を守ってやると言い残して亡くなるところから始まります。父が外出した際におみやげとして木(グリム版ではハシバミ)をもらうところはバジーレに似ていますが、灰かぶりはこれを母の墓に植えて涙で育てます。そのおかげでこの木にとまる鳥が灰かぶりの言うことを聞いてくれるようになり、ヒロインはドレスや靴を出してもらってパーティに出かけます。鳥が出してくれた金の靴の片方が王子の手にわたり、この靴があう女を王子の花嫁にしようということになります。灰かぶりの継母は実の娘2人の足を切って無理矢理靴を履かせようとしますが、鳥たちが王子に告げ口して工作がバレてしまいます。さらに王子と灰かぶりの結婚式では鳥たちがこの義理の姉妹2人の両目をつついて失明させてしまいます。

 グリム版の鳥たちの働きはとくに灰かぶりが命じたものではないのですが、展開からして亡くなった実母の怨念のようなものが鳥たちを動かしてヒロインを守っているらしいことが推測できます。また、ハシバミの枝を母の墓に埋めるというのは遺産を受け継ぐことを象徴しているのではないかと言われており、グリム版は灰かぶりが奪われていた母の遺産を取り戻して成功する物語として解釈できます。グリム版では、母と娘の絆が比較的強調されていると言ってよいでしょう。

シンデレラの仲間たち

 文献に残っているヨーロッパのシンデレラ物語として有名なのは上にあげた3作ですが、他にもシンデレラに似たお話はたくさん各地に残っています。

 民話を研究する際には、共通の要素に着目して類型で分類するやり方がとられており、アールネ・トンプソンのタイプ・インデックスという分類方法がよく使われています。この分類法では、シンデレラは大分類「魔法の話」の下の「超自然的な援助者」というサブカテゴリに入っており、「迫害されたヒロイン」という見出しのもとに510Aという分類番号が与えられています。この510Aにあたるお話は日本の「糠福米福」とか、いろいろあります。

 510は虐待された娘が魔法などの助けで成功するまでを描く話です。サブカテゴリの510Bは「不自然な愛」という分類で、父親から要求される過大な愛情に応えられず、身をやつして家から出て行った娘が、不思議な力に助けられ、幸せな結婚をするというような物語が入っています。父親が3人の娘の愛情を試そうとした結果、賢い末娘を追放してしまうイギリスの「いぐさずきん」とか、父親から結婚を申し込まれた娘がロバの皮をかぶって逃げるフランスの「ロバの皮」などがこの分類に入ります。

 この系統の話は近親相姦などの要素があってちょっとえぐいのでシンデレラほど人気がないかもしれませんが、いくつか有名な翻案があり、『ロバの皮』は1970年にジャック・ドゥミ監督、カトリーヌ・ドヌーヴ主演で『ロバと王女』として映画化されています。また、シェイクスピアの『リア王』の冒頭部分はこの「いぐさずきん」系の民話から影響を受けたもので、実は『リア王』とシンデレラはお話の分類では遠い親戚にあたります。ディズニーの『シンデレラ』を見慣れていると、『ロバの皮』や『リア王』とシンデレラに似たところがあるなどというのはほとんど気付かないのですが、よく考えると実は親戚なのです。

牙を抜かれたシンデレラ

 こういうわけで、ディズニーの『シンデレラ』以前には、世界各地にいろいろなシンデレラのお話があり、グロテスクなものから教訓的なものまで、多様なお話が流通していました。しかしながら、ディズニー映画にはこうした豊かな民話の痕跡がありません。20世紀半ばのアメリカでは家庭的な女性が理想化されるきらいがありましたが、それにあわせてヒロインであるシンデレラは継母を殺したり、虐待に復讐したりするようなことは全く考えもしない、優しい娘になったのです。作中で歌われる「夢はひそかに」という歌でシンデレラは静かに夢を見て王子様を待っているだけです。母から娘への遺産の継承という女性間のつながりも薄められています。ディズニープリンセスの主力としてディズニーがシンデレラに関するさまざまな商品を売っています。世界中の女性がそんなシンデレラに憧れたり、反発したりするようになりました。シンデレラはディズニーの商品に成り下がってしまったのです。

 ディズニー以降にもっと斬新なシンデレラ像を提示しようとした試みもあります。代表例が1998年の映画『エバー・アフター』です。これはとある貴婦人がシンデレラの別バージョンをグリム兄弟に教えるという枠の作品です。そのお話というのは、16世紀のフランスを舞台に、たくましく聡明であるものの継母にいじめられているダニエル(ドリュー・バリモア)が、さまざまな困難を自力で乗り越えながら王子と結ばれるという内容になっています。ダニエルは性暴力にあいそうになってもめげずに自分で戦う強いヒロインで、王子との恋は階級社会への挑戦として描かれています。レオナルド・ダ・ヴィンチがダニエルに協力してくれるなど、時代設定を生かしたひねりもたくさんあります。

 シンデレラは豊かな民話の伝統に支えられた物語であり、いくらでも再解釈できる可能性を秘めていると思います。『五日物語――3つの王国と3人の女』や、2012年にスペインで作られたモノクロ・サイレントの白雪姫映画である『ブランカニエベス』など、民話をもとにした斬新な映画が作られるようになっている中、シンデレラもそろそろディズニーの影響から脱した解釈や探求の対象になってもよいのではないでしょうか。ディズニーに騙されてシンデレラを毛嫌いしてしまったり、ロマンティックなだけのお話だと思ったりせずに、是非民話の世界に踏み込んでみてほしいと思います。

参考文献

ペギー・オレンスタイン『プリンセス願望には危険がいっぱい』日向やよい訳、東洋経済新報社、2012。
北村紗衣「「シンデレラストーリー」としての『じゃじゃ馬ならし』――アメリカ映画『恋のからさわぎ』におけるシェイクスピアの読みかえ」『New Perspective』45 (2015):35–49。
グリム兄弟『グリム童話集』全5巻、金田鬼一訳、岩波文庫、2009。
河野一郎編訳『イギリス民話集』岩波文庫、1991。
段成式『酉陽雑俎』全5巻、今村与志雄訳注、平凡社、1980–1981。
アラン・ダンダス編『シンデレラ――9世紀の中国から現代のディズニーまで』池上嘉彦他役、紀伊國屋書店、1991年。
野口芳子「「シンデレラ」の固定観念を覆す――ジェンダー学的観点からのグリム童話解釈」『武庫川女子大学紀要人文・社会科学編』58(2010):1–11。
ジャンバッティスタ・バジーレ『ペンタメローネ――五日物語』杉山洋子、三宅忠明訳、大修館書店、1995。
シャルル・ペロー『完訳ペロー童話集』新倉朗子訳、岩波書店、1982。
浜本隆志『シンデレラの謎――なぜ時代を超えて世界中に拡がったのか』河出書房新社、2017年。
Marian Roalfe Cox, Cinderella: Three Hundred and Forty-five Variants of Cinderella, Catskin, and Cap o’Rushes, Abstracted and Tabulated, with a Discussion of Mediaeval Analogues, and Notes, The Folk-lore Society , 1893.
Anna Birgitta Rooth, The Cinderella Cycle, Arno Press, 1980.
William Shakespeare, King Lear, Arden Shakespeare 3rd Series, ed. R. A. Foakes, Bloomsbury Arden, 1997.

北村紗衣

2018.12.10 07:15

北海道士別市出身。東京大学で学士号・修士号取得後、キングズ・カレッジ・ロンドンでPhDを取得。武蔵大学人文学部英語英米文化学科准教授。専門はシェイクスピア・舞台芸術史・フェミニスト批評。

twitter:@Cristoforou

ブログ:Commentarius Saevus

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