
成田空港は東京や関東だけでなく、日本の空の玄関口として機能している。
連載【空港から最寄り駅まで歩いてみた】
第4回「成田国際空港編」
利用者が多い、大都市周辺の基幹空港や拠点空港は、一般的に駅や鉄道路線と直結していることが多い。成田国際空港(成田空港)もまた、第1ターミナル・第2ターミナルとも、JR東日本と京成電鉄が直結している。東京都心までは50〜60kmほど離れているため、JRは「成田エクスプレス」、京成は「スカイライナー」という特急電車を設定している。

成田国際空港の位置。(Googleマップを利用しています。権利関係はGoogleに帰属しています)
しかし、実は空港直下に駅ができたのは1991年のこと。1978年の開港から13年間は、初代(旧)駅から有料連絡バスに乗り継ぐ必要がある、実に不便な空港だった。第4回目の今回は、空港ターミナルビルからこの旧成田空港駅へと歩いてみた。敢行したのは、まだ暑い盛りの2018年8月某日である。

現在も旧成田空港駅は、駅として使用されている。
成田空港は日本の空港の中で、建設に当たってもっとも紆余曲折のあったところだ。土地の収用に伴う反対運動に過激派が加わり、いわゆる「三里塚闘争」や「成田空港管制塔占拠事件」などのテロ事件も発生した。現在も一坪運動共有地が残存し、滑走路の延長や誘導路建設の障害になっている。
反対運動のひとつに、1988年に起きた「千葉県収用委員会会長襲撃事件」があった。土地収用を行う行政委員会の会長が過激派に襲われ、重傷を負うという事件で、犯人グループは逮捕されたものの、委員全員が辞任し、後任も立てられなかった。結局、収用委員会は2004年に再建されるまで、機能不全に陥った。
もともと成田空港へは東京駅から成田新幹線を建設する予定だったが、このことで千葉県内の鉄道や道路の用地取得は、進捗が大幅に遅れた。沿線の反対運動も激しく、結局建設は中止となっている。なお、現在の東京駅京葉線ホームや成田空港駅は、新幹線が通ることを前提に設計されており、ホーム長が在来線より長いのはその名残だ。北総鉄道北総線の千葉ニュータウン中央〜印旛日本医大間も、新幹線用地を転用して建設されている。
1978年の開港時はもちろん新幹線計画は残っていたため、新幹線駅予定地があるターミナルビル直下には、在来線の駅が建設できなかった。そのため京成電鉄が「成田空港駅」を置いたのが、当時のターミナルビル(現在の第1ターミナル)から400mほど離れた、現在の東成田駅である。

現在は京成東成田駅となっている、旧成田空港駅。
その後、石原慎太郎運輸大臣(当時)の鶴の一声で、成田新幹線用の路盤と駅設備を活用し、JR東日本と京成電鉄が第1ターミナル直下の現「成田空港駅」を1991年に開業。第2ターミナル開業時も、直下に「空港第2ビル駅」が置かれている。JR成田線空港支線、京成成田空港線が共に単線なのは、新幹線用の上下線を分け合ったためだ。
さて、1991年以降、空港アクセスの役割を奪われた旧成田空港駅は、東成田駅と改称される。以降は空港関係施設への通勤客が利用する程度で、京成線の中でも乗降客数のワースト1、2位を争い続けている。前置きが長くなったが、まずこの東成田駅へ成田空港第2ターミナルから歩いてみた。
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