生理のつらさを口にできない日本
旅行とかイベントとかのタイミングで生理が始まった妻に「なんでこのタイミングで」と不機嫌な声を出したことは数限りなくあった。薬局で生理用品を買う時に、値段の高さをボヤいたときもあったし、紙ナプキンによる痒みや経血量の問題から布ナプキンに移行した際にも「どうしてそんなに高いの?」と不平を漏らした。
生理期間中にベッドから起きて来れない妻を、トイレを出た廊下で力尽きて横たわっている妻を、冷たい目で見下した僕は、同棲から結婚を経て20年近くに渡って、毎月数日「インフルエンザよりつらい症状になる」妻を、ケアしてこなかったのだ。
ということで、そんな己が激しい自省を記事にして寄稿した際の女性読者の反応も、また忘れえない。同じく生理痛やPMSが深刻にもかかわらず周囲から理解されない女性たちの切々たる訴えや、婦人科にかかるなど八方手を尽くしてなおインフルエンザよりつらいという我が妻より「さらにつらい」の訴えの数々。
それ以上に何より平常心ではいられなかったのは、「記事を読んだら、なんでか分からないけど涙が出た」という、複数の読者からの感想だった。
全日本の糞夫を代表して土下座したい気分になった。他人のご家庭で四十路のオッサン夫が妻の布ナプキンを洗っているという記事を読んで、「涙が出る」。それはその女性が、それほどに抱えた苦しさを無視され、配慮されることがなかったということ。そしてさらに我が妻と同様に、その辛さを口にすることを、社会から、家庭から、親から、教育から、あらゆる場面で「封じられ、抑圧されてきた」からこそ、零れた涙なのだと思う。
どうだろう。本作パッドマンに描かれるのは、結果として「月経時の衛生面の担保」に過ぎない。けれども、ことさら宗教的禁忌や慣習に縛られるでもないこの日本で、この映画を見た視聴者が「凄い男もいたもんだなー」で終わらされて堪るか!というのが、本作を見ての本音の評価なのだ。
そもそも、衛生面が担保されれば、それで女性が月経から自由になったなんて思われたら堪らない。
インドを始め女性の人権後進国は大変だなあ、というのも、耐え難い感想だ。生理の重い女性のケアは、日本においてもまったくされていないし、そういう意味で言えば女性の人権先進国なんか世界中のどこにも存在しそうにない。日本でもまだまだ、「女性は生理であっても仕事をし、家事をし、育児をし、その辛さを表情に出さず、いつも通りでいるべきだ」という理屈はまかり通り、ジェンダー的役割の中に「生理による心身の影響を我慢して、平然といつも通りに動く」ことが組み込まれている。
上映中に笑いが起きたシーン
けれども、少なくともパートナーの生理について配慮しその期間を支えるということならば、日本中のすべてのカップル、すべての夫婦が、来月からでも始められること。女性の月経への配慮をそこにまで昇華せず、女性の人権後進国の「男のサクセスストーリー」として描くにとどまった本作は、やっぱりどんなに頑張っても評価の対象にすらならないのだ。
唯一本作に評価が与えられるなら、本作を観た視聴者が「どう感じるか」が、ほんとうに世界中の女性が置かれている「月経にまつわる理不尽」をどう思うかの、バロメーターになるという一点のみにおいてだろう。
作品冒頭、薬局で妻のために既製品の紙ナプキンを購入しようとする主人公ラクシュミに、薬局の主人が密売品を売り渡すようにこっそりと渡すシーンに、試写会の会場では笑いが起きた。日本の薬局でも生理用品をわざわざ不透明な袋に入れて不可視化することにいちいち苛立ちを感じている勢としては、「そこはイラっとくるか呆れて溜息のシーンだろ!」と血圧が上がったが、笑い声の主は中年女性のグループだった。
妻は試写会後の女子トイレで「自分の夫がアレだったら気持ち悪いわ」という女性の声を聞いて、眉毛をハの字(ヤンキー的な)にして出てきた。
「これじゃインドと変わんねーよ」(妻)
この作品をどう思うのか、ジェンダー意識のリトマス試験紙として、劇場にて確認してみてほしい。
(鈴木大介)