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戦前はナチス政権にも協力!? “国策企業”ルノーの歴史から見るカルロス・ゴーンの逮捕

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法社会学者・河合幹雄の「法“痴”国家ニッポン」

第5回 2018年11月、逮捕されたカルロス・ゴーンと、“国策企業”ルノーの歴史

 日本のみならず世界に衝撃を与えた、日産自動車のカルロス・ゴーン前会長(64)の金融商品取引法違反容疑での逮捕。東京地検特捜部による今回の電撃逮捕は、ゴーン容疑者が巨額の役員報酬を有価証券報告書に過少記載した、という日産社内での内部告発に端を発しているとされています。ただ、なぜこのタイミングで内部告発があったのかなど、事件の概要についてすらまだまだ不明な点は多く、ルノー・日産・三菱自動車の3社連合の先行きも不透明です。

 事件の背景について海外の有力紙は、「ゴーン氏は日産・ルノーの経営統合を目指していたが、日産の取締役会が反対し、それを阻止する方策を模索していた」(英「フィナンシャル・タイムズ」2018年11月20日付)、「ゴーン氏を日産から追放するための陰謀のように感じる」(仏「ル・モンド」2018年11月21日付)などと報道。日産の西川廣人社長兼CEOは2018年11月19日の記者会見で否定したものの、日産側の経営陣による“クーデター”ではないかとの見方を強めています。とはいえ現時点では、日産・ルノー両社および日仏当局から開示されている情報があまりに少なく、海外を含めたメディアの見解はどれも臆測の域を出るものではありません。

 本連載ではこの事件を数回にわけて取り上げ、さまざまな視点から考察していきます。今回はその上で必要となる前提知識として、事件の一方の主役であるルノーとはそもそもどんな企業であるかについて、歴史をひもときつつ考えてみたいと思います。

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2018年11月8日、ルノー工場を訪れるマクロン仏大統領と、それを出迎えるルノー会長兼CEOのカルロス・ゴーン氏(写真:AFP/アフロ)

日本におけるルノーのシェアは0.1%以下

 パリに本社を置くルノーは、現在、新車販売台数で世界首位の自動車会社グループ(ルノー・日産・三菱アライアンス)において主導的な立場にある自動車会社です。ところがその割に、日本人にとってはあまりなじみが薄い。それもそのはず、日本国内の自動車保有台数におけるルノーのシェアは0.1%以下。世界最大の自動車会社グループのトップに君臨する企業でありながら、肝心のその車は、日本ではBMWやメルセデス・ベンツなどの10分の1にも満たない台数しか走っていないわけです。

 私がフランスに留学していた1980年代の話ですが、同じくフランスの大衆車メーカーであるプジョーやシトロエンが、どちらかというとあか抜けたブランドイメージだったのに対し、ルノーはいかにも“庶民の足”というか、一見してそれとわかる独特な雰囲気の車を造っているイメージでした。そしてそのことは、現在に至るまでフランス政府と密接な関係を保ち続けてきた同社の歴史を象徴するものだと私は思います。

 報道でご存じの読者も多いでしょうが、ルノーは第二次世界大戦末期から1990年代半ばまで「ルノー公団」、すなわち国営企業でした。そして1996年の完全民営化から20年以上たった現在でも、フランス政府は同社の株式の15%を保有し、影響力を行使し続けている。ゴーン容疑者が計画し、今回の事件の引き金になったとされるルノーと日産の経営統合も、もともとフランス政府の要求を受けてのものだったといわれています。民間企業であるはずの現在においても、ルノーは一種の“国策会社”という側面を持った企業であると考えていいでしょう。

ナチスに協力した、ルノー“負の歴史”

 国家権力と関係の深いルノーの社風は、実は国営化以前の二度の世界大戦の頃からすでに現れ始めています。ルノーは第一次世界大戦の際、FT-17という、のちに日本を含む各国の戦車のベースモデルともなる傑作戦車を開発して多大な戦果を挙げると同時に、パリ市内を走る同社のタクシーを前線への兵員輸送のために大量動員するなどしてフランスの勝利に貢献。創業者で当時の経営者だったルイ・ルノーは、同国の最高勲章であるレジオンドヌール勲章を受勲しています。ルノーはフランスにとって重要な軍需企業となり、政府要人や軍人との関係を深めていったことは想像に難くありません。

 ところが、“御用会社”としての同社の歴史は第二次世界大戦に入って暗転します。1940年のナチス・ドイツによるフランス占領後、ルノーの工場は、他企業のそれと同様、ナチスの管理下に置かれました。ただ、同じ自動車産業のプジョーやシトロエンがサボタージュによって軍需生産を滞らせたり、対独レジスタンス活動を密かに支援したりして抵抗を試みる中、ルノーは独メルセデス・ベンツの技術者を受け入れるなど、ナチスとその傀儡政権であるヴィシー政権に協力。4年間で3万4000台あまりものドイツ軍用トラックを生産したとされています。

 そのことから1944年のパリ解放直後、当時67歳のルイ・ルノーは、フランス当局に産業利敵協力を問われて逮捕され、間もなく獄中で死亡。その不審な死は刑務所での虐待によるものともいわれています。彼は逮捕時、「操業を続けることで何千人もの労働者をドイツへの強制移送から守った」と主張したと伝えられています。その一方で、彼はフランス占領直後、自らナチスに軍用品の製造を申し出て自社の経営権を守ろうとしたともいわれている。どちらも真相はわかりませんが、国家権力の介入を許し、政治力をもって難局を乗り切ろうとした事実に変わりはなく、今回の事件とも重なる部分がある。同じ境遇にあったはずのプジョーの経営者や従業員などが実際に強制移送の憂き目にあったのとは対照的です。

 そしてルノーは、ド・ゴール将軍(後の大統領)の行政命令によって国営化されるに至ります。このときフランスでは、銀行や保険会社、エネルギー会社など、基幹産業の多くが国有化されているのですが、自動車産業でその中に含まれていたのはルノーだけでした。その事実からも、国家と親和性の高い、あるいは国家に利用されやすいルノーという会社の特異性が透けて見えるようです。

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