アメリカも今や国を挙げてのホリデー・シーズン真っ只中。華やかで、かつアメリカ式の明るくハデハデしいムードに包まれ、どこもかしこも賑わっている。ちなみに、クリスマス・シーズンと書かずにホリデー・シーズンと記したのには理由がある。これにはついては2年前に書いた以下の記事を参照願いたい。
クリスマスの“ポリティカル・コレクトネス”問題 「メリークリスマス」vs.「ハッピーホリデーズ」論争
アメリカはクリスマスを含むホリデーシーズン真っ盛り。あちこちに煌びやかなツリーやイルミネーションが溢れ、子供たちは25日にもらえるプレゼントにワクワク…
今回は「ブラック・サンタ」について書いてみよう。アメリカにおけるサンタクロースの扱いについて、上記の記事で以下のように記している。
「(街中のディスプレイなどから)十字架、キリストやマリアなどキリスト教そのものを表すデザインは排除されている。トナカイ、星、雪だるま、雪の結晶などはOK。サンタクロースも本来は聖人のセント・ニコラスに由来するが、子供たちにプレゼントを配るキャラクターとしてギリギリOKの判断が成されている」
なかなかに微妙な立ち位置のサンタだが、いずれにせよサンタクロースと聞けば「白い髪とヒゲの白人のおじいさん」が思い浮かぶのではないだろうか。だが、筆者が暮らすニューヨークの黒人の街、ハーレムでは等身大の置物からレストランの壁に貼られているデコレーションまで、黒人のサンタクロースが大手を振って微笑んでいる。いくら黒人街とは言え、ブラック・サンタ? サンタは北極に住んでいるのではなかったか? 北極に黒人???
サンタクロースの起源
サンタクロースの起源は古い。オリジナルは4世紀のギリシャ人の聖人、聖ニコラスで、現在のトルコに住んでいたとされる。地図を見ると分かるが、現在もトルコとギリシャは隣り合っている。この聖ニコラスは人々への秘密の贈り物で知られたと言う。
かなりの年月を経た13世紀のオランダで、聖ニコラスが現在のサンタクロースのように、子供が「いい子か、悪い子か」を見定め、煙突からプレゼントを配る人物という設定になった。それと前後してサンタクロースの寓話は西欧キリスト教世界に広がり、それぞれの地域で微妙に名が変わった。外観については、ごく初期はいかにもキリスト教の聖人らしい肖像が描かれているが、徐々に現在のサンタクロースに近いものになっていく。ただし、衣装や帽子の色は赤に限らず、緑や黄色などさまざまだった。
現在のサンタクロースの原型を作ったのは、19世紀アメリカの風刺漫画家、トーマス・ナスト(1840-1902)だ。ナストはドイツで生まれ、幼い時期に家族と共にニューヨークに移住し、美術学校に通って風刺漫画となった人物だ。ナストは聖ニコラスや過去のサンタクロースの画を元にサンタクロースを繰り返し描いたが、1881年に書いたものが現在のサンタクロースに非常に近い。サンタクロースは北極に住んでいるという設定を作り出したのもナストだ。
「白髪・白く長いヒゲ・白い毛皮の縁取りの付いた赤い衣装と帽子の太った年配の白人男性」という現在のサンタクロース像を全米はおろか世界中に浸透させたのは、コカ・コーラ社だ。同社は1920年代にサンタクロースを使った広告を開始し、1931年からはアメリカの画家、フレッド・ミゼン(1988-1964)によるイラストを使った。ミゼンによる、いかにも陽気なサンタがプレゼントと共にガラス瓶のコカ・コーラを手にしたイラストが毎年描かれ、1964年までの長きにわたって毎冬の一大キャンペーンに使われた。
クリスマスはキリスト教の祭事を超えて、アメリカ経済を支える年間最大の消費イベントにもなった。キリスト教徒/経済大国アメリカの市民というふたつの側面を持つアメリカ人にとって、ミゼンの描くサンクロースは完全に脳裏に焼きつき、唯一無二のサンタのイメージとなった。同時にアメリカン・ポップ・カルチャーのひとつとして、ミゼンのサンタクロースに基づくサンタ像は、日本など非キリスト教国をも含む全世界に浸透していったのだった。
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