櫻井翔はいつまで「嵐」を続ける気があるのか? 「究極的にこの生き方が最高」と憧れる人物とは

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 10代後半の頃から俳優として活躍する妻夫木だが、デビュー前はファッション雑誌『東京ストリートニュース』(学習研究社/現・学研パブリッシング)の読者モデルとして人気で、「カリスマ高校生」と呼ばれていた。そんな経歴を持つ妻夫木に、櫻井は「芸能事務所に所属していない状態で、でも有名ってそりゃモテるだろう」と“学生時代に一番モテたエピソード”を尋ねる。

 共学の公立高校に通っていた妻夫木が後輩から「ボタンください」とねだられたという定番エピソードを明かすと、慶應一筋・男子校育ちの櫻井は「くぅ~最高じゃん」と羨ましがるのであった。しかし妻夫木にも高1の時に2学年上の先輩にフラれた経験がある。「泣きながら俺、駅のところでギター弾きながら歌ってたもん」とのことで、SPARKS GO GOの「ルーシーはムーンフェイス」を歌い、友達は黙って聞いていてくれたらしい。もちろん、ここでは明かせないようなモテてモテて大変だったエピソードもあるのだろう。

 一方の妻夫木から櫻井へのクリティカルな質問が出た。「メンバーに嫉妬したことは?」という質問だ。これに対する櫻井の答えは「今は全くないよ」「(昔は)あったと思う」。

 櫻井「デビューしてすぐの頃、10代、20代前半はさ、ライバルがほかの4人だと思いながらやっていた。ニノとかさ、ドラマすごいいっぱい出たりしていてさ、『あーニノいっぱい出てんな、出てみたいな』とかさ。だけどさ、グループでやっていて時間経つとさ、別にライバルってこの4人じゃなくて、実はその外にいっぱいいるってことになんかのタイミングで気づくんだよ。むしろこの4人って味方で、その外と戦わなきゃいけないことに気づいてからは全く思わないけど、少しも思わないけど」

 1999年に嵐のメンバーとしてデビューした当時17歳の高校生だった櫻井も、今や36歳。長年芸能界に身を置き、自身も20代、30代と年齢を重ねていく中で、メンバーに対する意識も成熟していく、ということだろう。

 すると妻夫木は、「窪塚君と比べられることが多かった」と、『池袋ウエストゲートパーク』(2001年/TBS系)で共演した窪塚洋介の名前を挙げる。「わりと俺は無個性な人間だから。(窪塚は)強いじゃん個性が。だからそういうのはあったけど」と、自分と対照的な窪塚洋介をライバルとして意識していた時期があったようだ。周りが比較するのだから、それは意識せざるを得ないだろう。

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