「平均的な労働者」が感じるセクハラとは何か?「ハラミ会」問題の本質は、男女間の不信感にある

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 巷で「ハラミ会」なるものが話題に上っている。

 「飲み会の場で意図せず女性にセクハラをしてしまうことを恐れる男性たちが男だけで飲む会」といった意味だそうだ。マンガ『モトカレマニア』(瀧波ユカリ著)に登場するもので、現実に存在するものではない。作品の中で特に大きく取り上げている設定でもない。

 なぜかこれが最近ネット上で話題になり、賛否両論を呼んでいる。興味深いのは、賛否が男女で分かれているわけではないことだ。男性にも女性にも賛否両論がある。

 この種の問題は得てして、「そもそもセクハラしなきゃいいじゃん」で終わってしまいがちだ。まさしくその通りなのだが、話がそれで終わらないのにはそれなりの理由がある。

「平均的な労働者」が感じるセクハラとは何か?

 問題は、「何がセクハラなのか」が、現実の場面では必ずしもよくわからないことだ。もちろん、きちんとした定義はある。男女雇用機会均等法はセクハラをこう定義している。

 「職場において、労働者の意に反する性的な言動が行われ、それを拒否したり抵抗したりすることによって解雇、降格、減給などの不利益を受けることや、性的な言動が行われることで職場の環境が不快なものとなったため、労働者の能力の発揮に重大な悪影響が生じること」

 一見、明確に決まっているようにみえる。判断基準も示されていて、意に反する身体的接触によって強い精神的苦痛を被る場合には1回でもアウト。

 また、「明確に抗議しているにもかかわらず放置された状態」や「心身に重大な影響を受けていることが明らかな場合」もアウトとなる。

 感じ方は人によって違うだろうが、厚生労働省「職場におけるセクシュアルハラスメント」では、被害者が女性であれ男性であれ「平均的な労働者」の感じ方を基準とする、とある。

 しかし、これは現場で個々の具体的な判断に使えるほど明確であるとは言えない。「不快」や「重大な悪影響」のように程度を表すことばは、それがどの程度を意味するのかを示してはいない。

「一定の客観性」の定め方の難しさ

 男性から女性へのセクハラを例にとると、男性の前にいるのは「平均的な女性労働者」ではなく、「特定の一女性労働者」である。その人がどの程度「平均的」なのかは事前にはわからない。

 「一定の客観性」は、事後的に裁判などできちんと公平に判断してもらえば確保できるかもしれない。しかし、その場での判断に困ることは少なくないだろう。「言ったもの勝ち」になるケースも十分考えられる。

 そもそも「自分はセクハラをしてしまうかもしれない」と不安になるような人は、意図的に悪質なセクハラをしつつ責任を逃れようとしているわけではない。

 常識的には問題ない(少なくとも当人はそう考えている)行為を「受け手」である女性が「不快に思った」という理由で(意に反して)セクハラにされてしまう事態を恐れているのだ。なにせ法務省が公開している人権研修資料には、「相手に不快な思いをさせるだけでもセクハラ行為になる場合があります」と記されている。

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