「平均的な労働者」が感じるセクハラとは何か?「ハラミ会」問題の本質は、男女間の不信感にある

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 たとえば、あるサイトをみると、以下のような例は、ただちにセクハラになるものではないが、度重なるなどすればセクハラとなり得る、と説明されている。

・未婚の女性に対し「結婚はまだ?」と質問した

・宴席で「女性なんだから、お酌をしたり、料理をとりわけてよ」と発言した

・「今度、食事でもどう?」と異性の部下を誘った

 これは一般的には十分セクハラと解し得る表現と認識されており、慎重な人であれば、こうした発言は一度でもしないようにしているだろう。しかし、これらを下記のようなケースと区別することは、現実の場面においてはそう簡単ではないだろう(もっと判断に困るようなケースもあり得る)。

・仕事の計画を立てるため、男女にかかわらず未婚の社員には、時折結婚など長期間の休暇をとる予定があるかどうか聞くことがある。それが、ある女性社員から「それはセクハラだ」と言われた

・宴席では男女にかかわらず顧客を担当する営業社員に対し、「お客様の分の料理をとりわけてよ」と指示することがある。それが、ある女性社員から「それはセクハラだ」と言われた

・客先で遅くなったときは男女にかかわらず部下を食事に誘うことがある。それが、ある女性社員から「それはセクハラだ」と言われた

 もちろん、正規のセクハラ対応では「一定の客観性」が求められるから、仮にある女性社員が非常にささいな(と多くの人が思うような)ことで「不快な思いをした」とセクハラを訴えたとしても、調査のうえで否定されることが多いかもしれない。

社会的に「一発アウト」に追い込まれる恐怖

 しかし、現在の社会的風潮からすれば、その職場がセクハラに対して敏感であればあるほど、セクハラの訴えを否定すること自体が憚られる。不当な結論が出てしまうかも、と男性社員が懸念するのは不自然なことではない。

 仮に「一定の客観性」をもって「セクハラはなかった」と事後的に判断が下るとしても、セクハラをしたとの噂が出れば、その時点でその職場に居続けるのは相当困難になるだろう。

 その人がセクハラに対して意識が高ければ高いほど、そうした事態への恐れは強いものとなるはずだ。実際にそのような目に遭った人がどのくらいいるか、という話ではない。そうした男性社員にとって、セクハラで社会的に「一発アウト」に追い込まれるかもしれないという恐れは、行動に影響を与えるに十分なものだろう。

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