「平均的な労働者」が感じるセクハラとは何か?「ハラミ会」問題の本質は、男女間の不信感にある

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セクハラ上等になりかねない「ハラミ会」

 「ハラミ会」という名ではなくとも、女性社員との不必要な接触を避けようとする行動は、男性ビジネスマンの間に以前から少なからずあったのではないかと思う。残るのは「セクハラ上等」な人々ばかり、ということになれば、これはいわゆる「悪貨は良貨を駆逐する」というグレシャムの法則のような話になってしまう。

 とはいえ、だから「ハラミ会」も仕方ない、とは納得できない人も多かろう。特に、組織において実際に意思決定権限を握っているのが男性であるケースが圧倒的に多い現状では、男性との接点を絶たれることは、女性にとってキャリア面で大きなマイナスとなり得るからだ。

 実際、男性の同僚同士の飲み会の場において、仕事の話はかなり一般的な話題だろう。顧客との関係でも似た問題はある。メディア業界でも、女性記者へのセクハラ事件をきっかけに、類似の議論が起きている。

 そもそも飲み会のようなインフォーマルな場で仕事の話をすること自体が悪い、という「正論」は当然あり得る。しかし、仮にそのようなルールができたとしても、問題は解決しないだろう。仕事の話はしなくても、飲み会のようなインフォーマルなコミュニケーションを通じて形成される人間関係自体が、仕事を円滑に進めるうえでしばしば有利に働く。

 仮にそうでなくとも、そうした場に参加しない人には、それが不利に働くのではないかとの懸念を抱かせる。だからといって飲み会には必ず女性も誘うべき、と決めれば、それがまたセクハラと指摘される可能性をもたらすわけで、いわゆるダブルバインド(どちらを選択してもNG)の状況となる。

私たちが接するのは、「身近な特定の女性ないし男性」である

 もちろん、女性にセクハラを容認せよといっているわけでも、男性にリスクに怯えて生きよといっているわけでもない。セクハラへの恐れとセクハラと糾弾されることへの恐れは、同等であるとは言わないが、いずれも配慮に値するものだ。

 この問題の本質は、男女がお互いに、相手が何を考えているかわからない、信用できない、という不信感を抱いていることにあるように思われる。そうであれば、必要なことは、日常のコミュニケーションを十分にとることだろう。

 その中で、セクハラに関する各自の考え方を共有しておけば、トラブルは格段に少なくなるだろう。私たちが日々接するのは女性一般、男性一般ではなく、「身近な特定の女性ないし男性」であるからだ。

 もちろん、職場でそうした環境をつくることは、男女にかかわらず上司、ひいては経営者の責任ということになろう。

 「ハラミ会」はアリかナシか、といったおおざっぱな議論に意味はない。それぞれの職場を働きやすい環境にするために何をするか、という具体的な経営上の課題だ。マンガのネタやネットの話題で終わっていい問題ではない。

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