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イタリアにいじめが存在しない理由 差別的教師に反抗する子どもたち 

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やさしいインクルーシブ講座/宮崎隆司

 いきなりですが、みなさんに質問。日本にあって、イタリアにないものなーんだ?

 ヨーロッパでもイタリアは貧しい国で、経済大国である日本と比べると「ないもの」だらけ。美しい包装、ウォシュレット、店内に響く「いらっしゃいませ!」の声、立体駐車場、いつでも開いている24時間ショップ……。そうそう、生鮮食品を包装する食品用ラップフィルムも、ほとんどすぐにはがれてしまう不良品しかありません 。私もフィレンツェで暮らし始めたころは、なにかと日本を思い出して「あれがない、これがない」と嘆いていました。

イタリア育ちの私のこどもは「いじめ」の意味がわからなかった。

「ないもの」だらけのイタリア。しかし、なくていいものもありました。それはいじめ。ゼロとは言い切れないものの、イタリアにはいじめがほとんどありません。

 日本で生まれ育った私は、学校にはいじめのひとつやふたつはあるもの、イタリアでもきっとそうだろうと思っていました。

 ところが、あるとき気づきます。

 いじめを苦にした学生が自殺しました――。

 日本からしばしば届く悲しいニュース、実はイタリアではまったく聞きません。

 私には15歳の息子と9歳の娘がいますが、イタリア育ちの彼らはいじめというものを知りません。なぜなら彼らは、だれかにいじめられたことも、いじめを見たこともないからです。ですから、いじめが一体どういうものか知りませんでした。

 こどもたちは私が聞かせる日本からのニュースによって、いじめについて知るようになりました。

 日本から悲しいニュースが届くたびに、ふたりは私に問いかけます。

「どうして部活を休んで家族旅行に行っただけで、いじめられなきゃいけないの?」
「走るのが遅いと、どうしていじめられなきゃいけないの?」
「スクールカーストってなに?」

 いじめのニュースを聞かせるたびに、私は質問攻めに遭い、途方に暮れてしまいます。

 いじめが当たり前の国に育った父は、いじめのない国に育ったこどもたちが納得できる説明ができないのです。

差別発言をする教師に沈黙しないこどもたち

 しかし最近、イタリアにいじめがない理由がちょっとだけわかりました。きっかけは次のネット動画です。

 これは2011年に立ち上げられた、イタリアの左翼系ネットメディア《FAN PAGE》が制作した動画です。社会問題に踏み込んで市民の本音を引き出すことに長けたこのメディアは、港町ジェノバのふたつの高校で「ドッキリ」を仕掛けました。

 以下が、動画の中で繰り広げられるストーリーです。

 新学期が始まり、高校1年生(イタリアの高校1年生は14歳)のある クラスに初めて生徒たちが集まりました。 その中にはムスリム(イスラム教徒の総称)の女子がいて、「ニカーブ」と呼ばれる目だけを出した黒い衣服を着ています。

 教室に現われた男性教師は、いきなり「これは荷物検査でもしなきゃいけないのか?」とテロの脅威をほのめかす笑えない冗談で場を凍りつかせたあと、ムスリム女子にこう言いました 。

「初日だから、顔だけでも見せてもらえないかな」

 すると、青い服を着た男子が「先生、それはあんまりじゃないですか」と反論。先生も次のように答えます。

「きみの言うこともわかるが、それでは彼女がだれなのか、わからないじゃないか」

 そこから先生と生徒の間でムスリム女子を巡る論争が加熱、先生は差別的な言葉で彼女を追い詰めていきます。

「(14歳の)きみたちは9.11を知らないだろう。3千人が亡くなった、あのテロ以来、私はムスリムへの嫌悪感を持っている」
「イタリアは移民が増えすぎて、その結果、教室から十字架が取り除かれる羽目になった。移民たちによって、この国は支配されようとしている」

 沈黙を続けるムスリム女子に向かって、先生は容赦なく畳みかけます。

「では、なにか言ってもらおう。ただしイタリア語で、だぞ」

 黙ったままのムスリム女子を見て、先生は得意げに言い放ちます。

「みんなも見ただろ? これでも彼女はイタリア人なのか?」

 こうした先生の言動に、生徒たちはどう反応したのでしょう。

 生徒たちは黙ってはいませんでした。思い思いに先生に反対意見を言い、泣いているムスリム女子を慰め、やがて多くの生徒がクラスをボイコットして出て行きました――というところでネタばらし。殺伐とした教室が、やがて安堵のため息と笑いに包まれました。

 イタリアではしばしば、こうしたドッキリが社会実験の一環として行なわれています。ちなみにこの作品は150万回以上視聴され、ちょっとした話題となりました。

 この動画には、マイノリティのクラスメイトを守ろうとするこどもたちの頼もしい姿が映し出しています。しかし、この映像をもって「イタリア人は移民に寛容だ」と言い切ることはできません。

 というのも、現政権の一翼を担う政党は移民排除を政策の柱に掲げており、それを支持する人は多いからです。

「空気」を読まないから、見て見ぬふりをしない。

 この動画について家族4人で話をしていると、息子がこんなことを言い出しました。

「だからイタリアではいじめがないんだって!」

 息子が言いたいのは、つまりはこういうことでした。

「イタリア人は、こうやって目の前に問題があると見て見ぬふりなんて絶対にしない。“こんなこと言って嫌われたらどうしよう”とか“先生ににらまれたらどうしよう”なんて、後先のことを考えずに言いたいことを言う。宗教や移民に対しての意見はそれぞれ違っていても、目の前でだれかが困っていたら、絶対に助けようとするんだから」

 この言葉を聞いて、私は「なるほど」と思いました。

 息子が言うように、イタリア人は老いも若きも男も女も、問題に直面したら黙ってやりすごすということがありません。「これ、おかしくないか?」と思ったら意見を言う。これはもう条件反射のようなもの。そこには「空気を読む」という思考は皆無です。

 私は日本のいじめや体罰についての報道に接するたびに、常々不思議に思います。

 先日も部活の先生が何人もの生徒に暴力を振るう動画を見ましたが、大勢のこどもたちが黙って殴られるままになっていました。

 イタリアでは考えられない光景です。なにしろ、サッカーの練習で指導者が退屈なメニューをやらせようとしたら、一斉に口笛を吹いて拒否する。そんなこどもたちばかりですから。

 ちなみにスポーツチームや部活での指導者による体罰は、父兄が隠し撮りした映像によって明るみに出ることが多いですが、これについても複雑な心境になります。隠し撮りをするのであれば、どうしてその場で抗議しないのでしょう。

 もちろん悪いのは加害者たちです。声を上げないこどもや親は、なんの罪もありません。個人が空気に流されて、自由に声を上げられない日本社会に問題があるのだと思います。

 日本から見たら「ないもの」だらけのイタリア。しかし、空気を読まず、言いたいことを言い合う人々が暮らすこの国には、いじめがほとんど存在しません。そんなところに私は魅了されているのです。

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