堤真一と谷原章介がそれぞれの持ち味を活かして表現しきった「民衆の敵」とは?

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 集会を開いたものの、味方は家族と古い友人ひとりだけ。追い詰められたトマスは「大衆が社会の中心という教え、政治にかかわる権利があるという教えはウソ。社会を作るための経済力にすぎない」と暴言を放ち、満場一致で“民衆の敵”とみなされます。家には石を投げつけられ、大家からは退去を求められ、娘は職場をクビに。国を出る覚悟を決めますが、全財産を温泉の株につぎ込んだ義父が、財産を価値あるまま子どもたちに相続させたければ調査結果を撤回するように迫ってきます。またホヴスタも、汚染はないと紙面に載せることで株のインサイダー取引を迫ります。

 すべてに憤ったトマスは、町から逃げることを止め“敵”として生きていくと決意しますが、その頭上にたくさんの石がふりそそぐまま、幕が下ります(頑なな男ではありますが、その不器用な純粋さを全身にあふれさせた堤のかっこよさはさすが!)。

 経済活動における環境破壊やメディアによる世論の操作からのインサイダー、また立場の違いから兄弟や義父という家族間で起こるいさかいなど、数多くの問題を提示しつつも、劇中にその答えは示されません。真偽の怪しいインターネット上から多くの情報を得る現代は、その混迷はより増しているはず。トマスのような強さを持っていたいけれど、自分を振り返ってみれば、無難に生きるためにホヴスタのような賢しさを求めているのが現実。せめて石を投げないことだけを心掛けるのが、“民衆”の精いっぱいかもしれません。

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