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Love-tuneのファンよ、過去に学べ! 2018年の“悲劇”から振り返る、1970年代“黎明期ジャニーズ”考古学

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人気メンバーの多数所属した7人組グループであった「Love-tune」

 2018年は、ジャニーズ事務所が過渡期を迎えていることを象徴した年だったといえるだろう。 

 KAT-TUNの活動再開、V6・森田剛の宮沢りえとの結婚、King & PrinceのCDデビューなどポジティブな話題も目立った一方で、メンバーの不祥事・脱退・活動休止などが相次いだのだ。また、ジャニーズJr.内ユニットLove-tuneのメンバー全員の突然の“解雇騒動”など、SNSの格好のネタになってしまうような異例の出来事も起きている。

 実は同事務所には、かつて同じような時期があった。しかも、それは長く続いた。今から40年以上も前──1970年代のことだ。1962年に創業した同事務所にとって、今から振り返ればこの時期は黎明期から最初の過渡期だといえよう。初代ジャニーズが1967年に解散し、同時期にデビューしたフォーリーブスがまさに絶頂期を迎え、弟分としてデビューした郷ひろみの人気がそれをしのぐものとなった頃──そんな時代、2018年に起きたような出来事が、もっと極端な形で続々と起きていたのだった。

 ここでは、そうした例をいくつかピックアップしてみたい。平成生まれのジャニーズファンの皆さんには、もしかしたらなんのことだかさっぱりわからないかもしれないが、ジャニーズをより深く知るために、しばしお付き合い願いたい。

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ウェジー 2018.12.14

【1】メンバーの脱退、退社、引退

 2018年には、TOKIOの山口達也、関ジャニ∞の渋谷すばる、タッキー&翼の今井翼が、それぞれの理由でジャニーズ事務所を去っている。また、滝沢秀明の“引退”も衝撃的だった。

 だが、こうした、ファンにとっては“寝耳に水”な所属タレントの脱退・離脱・引退は、1970年代にはなんら珍しいことではなかった。

 1975年、ジャニーズ史に残る大事件が起きている。当時、フォーリーブスと並ぶ2枚看板だった郷ひろみの離脱である。人気絶頂の1975年に突如、別の芸能プロに移籍してしまう。当時のジャニーズ事務所にはまだ現在ほどの政治力はない上に、移籍先が当時すでに大手プロであったバーニングプロダクションであったこともあり、この移籍はファンにも郷本人にもマイナス面はなかったといえる。ただし、これによりジャニーズの“戦力”は大きくダウン。フォーリーブスの人気がピークを過ぎていたことも手伝い、しばらく事務所全体の冬の時代を迎えることになる。

 1975年3月、郷ひろみと入れ替わるかのように、豊川誕(じょう)が「汚れなき悪戯」という曲でデビューしている。それは、事務所入りしてわずか数カ月の大抜擢。“ポスト郷ひろみ”を狙える即戦力として期待されていたことがわかる。

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『ゴールデン☆ベスト 豊川誕』(販売:Sony Music Direct)豊川誕は、1998年には覚醒剤使用の容疑などで逮捕もされている。

 この豊川は、ジャニーズ史においても異色中の異色といえる存在だ。ルックスは堂々の“ジャニーズ系”だったが、児童養護施設で育ったという経歴から、“豊川稲荷に捨てられていた孤児であり、母親の顔を知らない”という公式プロフィール(一部、事実と異なる)を前面に押し出したプロモーションがなされたのだ。

 シングル曲は演歌的な曲調で、歌詞はひたすらネガティブでダーク。「汚れなき悪戯」「星めぐり」「生きるってすばらしい」「ほどけた靴ひも」「ぼくの消息」と、ハイペースでリリースされたシングル曲のタイトルを並べただけで、なんとなくその暗さの一端を感じていただけるだろう。

 今でいう“推されメン”として、事務所による猛烈なプッシュがなされたものの、豊川は暗いイメージのまま、デビューから約2年で事務所を突然離脱してしまう。

 一説には、孤児イメージで売られることへの反発があり、顔を知らない母親を直接的に歌った「白い面影」という曲が離脱の決定的な要因だったともいわれる。ちなみに、作詞家・安井かずみによるその歌詞の冒頭は、「親のない子は焼かないパンを喉に詰まらせ水を飲む」という、嵐もキスマイもキンプリも絶対に歌わないような内容であった。

 なお、現在は動画サイトで、60歳になった豊川が健康ランドや老人ホームで同曲を歌う姿をみることができる。

 ちなみにこの1975年のジャニーズ事務所は、豊川のほかにも、森谷泰章、殿ゆたかと新人を立て続けにソロデビューさせている。だが、残念ながら森谷、殿ともに不発に終わり、わずか2年程度で表舞台から姿を消している。

【2】ユニットメンバー全員の退社

 ジャニーズJr.内ユニットのLove-tuneが解散、全員が退社という、ファンが気持ちの整理をつけようにない発表もあった。

 一方1970年代にも、ユニット全員がまるごとジャニーズ事務所を離れるという事態が発生している。

 1974年に郷ひろみのバックダンサーを務めていたジャニーズジュニアのメンバー2人(小坂まさる、近藤純市)が、事務所から脱退。その後、1人を補強した郷のバックダンサー5人には、「ジャニーズ・ジュニア・エース」というユニット名が与えられる。しかし、わずか1カ月でそのうち4人(山縣孝良、鈴木寛、吉田義久、柏木孝夫)も離脱。結局、この6人は郷ひろみに追随するかたちで、バーニングプロダクションに移籍したのだった。そして6人は移籍先で、「メッツ」というユニット名でレコードデビューしている。

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1976年にテイチクレコードより発表された、メッツの「レディ・レイは最高さ!」

 ジャニーズ・ジュニア・エースとしての活動期間は1カ月程度ではあるが、ジャニーズ事務所にいたユニットがほぼオリジナルに近い形で他事務所からデビューという、この時代ならではの珍しい例だといえよう。

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