消費者が奇抜な名称に慣れ切ってしまうことの弊害
同社は次々と企業買収を繰り返して急成長してきたが、業種に関係なく会社を買収するというのは、経営学的には「禁じ手」とされている。他業種を買収しても、既存事業とのシナジーが得られないので、その後の経営が難しくなるからである。
だが同社があえて他業種M&Aに邁進したのは、市場の注目を集めるという目的があったと思われる。実際、初期のライザップは、次々とM&Aを仕掛ける「異形」の企業として過剰なまでの注目を集め、その結果、同社の資金調達が有利になったという側面があることは否定できない。
外食産業でも、非効率であることがわかっていながら、あえて数多くの業態を展開するところも増えている。本来であれば、ひとつの業態で多店舗展開したほうが圧倒的に効率がよいが、市場が低迷している状況では、すぐに売上げが鈍化してしまう。次々に目新しい業態を展開しないと顧客を確保できないのが現実である。
そうだとするならば、今回のように、明らかに話題になることだけを狙ったようなネーミングというのも、日本経済が本格的に回復しない限り、増えることはあっても減ることはないと考えられる。
筆者がもっとも心配しているのは、こうした奇をてらったネーミングが横行し、やがて消費者がそうした環境に慣れ切ってしまい、正常な感性を失ってしまうことである。経済において消費者のマインドが果たす役割は大きいので、場合によっては長期にわたって経済を蝕む可能性もある。
今回、話題になった高輪ゲートウェイに続こうと、奇抜なネーミング競争が起こらないことを祈るばかりだ。