滝沢秀明の不遇幼少期、働けるなら「どこでも良かった」少年がジャニーズのスターになるまで

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滝沢秀明

 滝沢秀明の引退まで残り数日を切った。今年9月、タッキー&翼が解散していたことが発表され、同時に、滝沢秀明は年内で芸能活動を引退しプロデュース業や後輩の育成に専念すると表明。今井翼は、芸能界からは引退しないもののジャニーズ事務所を退社し、今後の予定は白紙だという。

 引退までのカウントダウンが始まった今月、滝沢はテレビ出演や雑誌の単独インタビューなど、積極的にメディア露出してきた。29日には、ジャニーズJr.黄金期を象徴する伝説の番組『8時だJ』が、『超豪華!! 最初で最後の大同窓会!8時だJ』(テレビ朝日系)として一夜限りの復活を遂げる。

 そして28日には、滝沢が『中居正広のキンスマスペシャル』(TBS系)に出演し、解散・引退の真相、さらに「自分の中で封印していた時代」である極貧の幼少期についても語るという。まさに滝沢祭りの2日間だ。

 だが、滝沢秀明が自身の幼少期について明かすのはこれが初めてではない。ジャニーズアイドルとして華麗な経歴を持つ滝沢が、実は複雑な家庭環境に育っていることは、一般的にはあまり知られていないかもしれないが、ファンの間ではずっと前から有名な話だ。なぜならば、2006年の主演舞台「One! -the history of Tackey-」は滝沢の半生を描いた自叙伝的ストーリーだったからである。

 当時、舞台「One! -the history of Tackey-」の制作発表で、企画・構成・総合演出を手掛けたジャニー喜多川氏から、滝沢が病院のベンチで生まれたことなどが明かされた。東京・八王子で3人兄弟の末っ子として生まれた滝沢は、父親から「わかりやすい愛情」を受けた記憶はなく、幼稚園児の頃に両親が離婚すると母親の元で育てられた。経済的には恵まれず、母親は食費を切り詰めるべく餃子の具にツナを使い、滝沢はそれを普通の餃子だと思っていたという。

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