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「第一銀行と三菱銀行が合併!!」 1969年「読売新聞」元旦特大スクープは、いかに『大逆転』され『呪縛』のもととなったか

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1874(明治7)年創刊の読売新聞

 1月2日は全国的に新聞休刊日となる。そのため、1月1日にスクープを飛ばされたら、他紙にとっては取り返しの付かない特ダネになる。そんなスクープを1969年の「読売新聞」1月1日朝刊がかっ飛ばした。

 当時の六大都市銀行(いまでいえば三大メガバンク)の第一銀行と三菱銀行が合併するというのだ。しかも、「合併交渉を始めたらしい」というような観測記事ではなく、すでに合併後の行名(第一三菱銀行)が決まっていたくらいの、かなり確度の高い合併話だった。

 第一銀行・三菱銀行首脳はスクープを受けて、6日後の1月7日、正式に合併を発表した。

 最近ではそんな合併話も珍しくはないが、戦後しばらくの間、ガッチガチの規制でがんじがらめに縛られていた金融行政の下では、大銀行同士の合併はなかったので、各方面に大きな衝撃を与えた。裏を返せば、店舗1つ増やすにも厳しい認可をかいくぐることが必要だったので、合併するくらいしか飛躍的な成長が見込めなかったともいえる。

 どこまで本当の話かはわからないが、三菱財閥の岩崎家の御曹司と、第一銀行と縁の深い古河財閥のご令嬢が結婚した時、結婚式に呼ばれた三菱銀行頭取と第一銀行頭取がたまたま隣の席だったという。「われわれ銀行も一緒になっちゃいましょうかー」と軽口を叩いたのが、そもそもの始まりで、それからあれよあれよと合併話が進んでしまったらしい。

 当時の三菱銀行頭取・田実渉(たじつ・わたる)は、父親が三菱財閥の顧問弁護士で、2年前に死去した元三菱商事会長は従兄弟、当時の三菱重工業社長は妻同士が従兄弟同士、ついでをいうなら岩崎家の5代目当主が妻の従兄弟というバリバリの三菱マン。

 まぁ、これだけ親戚に三菱グループの重役がいれば、当然、根回ししておこうということなった(んだろう)。「合併します」と発表した時には、三菱グループ内部ですべて根回しが済んでいる。それが「組織の三菱」の本領発揮というべきだろう(近年ではそんなことをしているヒマはないかもしれないが)。

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 すべての根回しをほぼ終えていた三菱銀行に対し、第一銀行側はOBや主要株主などへの説明なしに、頭取・長谷川重三郎の独断で合併交渉が進められていたという。

 一説によれば、長谷川重三郎は、第一銀行をつくった渋沢栄一のご落胤という。13番目の子どもだから「じゅう3郎」で、弟の藤四郎は14(とう+4)番目のお子さんだったらしい。そんなわけで、長谷川はオーナー経営者のように振る舞い、独断で合併を決めてしまった。

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のちの第一銀行の初代頭取にして、“日本資本主義の父”とも称される渋沢栄一(写真はWikipediaより)

 第一銀行の前頭取、会長の井上薫は、知人から「大変ですね」と電話で告げられ、元日にあわてて当の「読売新聞」を買って、合併報道を知ったという。

「オレは聞いてないゾ!」

 狭量な上司だったら、意地でもこの話をつぶすはずだ。井上はそこまで度量は狭くなかったようだが、別の理屈で合併反対にまわった。曰く。「三菱に呑み込まれる」と。

 実は、第一銀行は戦時中の1943(昭和18)年に三井銀行と合併して帝国銀行となり、三井財閥に半分呑み込まれるという哀しい過去があった。

 支店の数は第一銀行のほうが多かったのに、三井銀行行員のほうが学歴が上だったので、徐々に支店長ポストが三井銀行出身に塗り替えられる。取引先も、三井財閥系の企業と同じ業界だと、なかなか融資してもらえない。結局両行出身者共に不満が収まらず、5年後の1948年、帝国銀行から第一銀行に分離して、帝国銀行はのちに三井銀行と改称し、“協議離婚”が成立した。

 日本のみならず、外国でも合併した銀行の再分離は珍しい。今だったら、「ギネスに申請しては?」と、外野がつい提案などして、不謹慎だと叩かれ炎上するに違いない。

 それはさておき、井上薫は三菱銀行との合併に異を唱え、徹底的な反対運動を展開した。

 まずは取引先である。第一銀行は古河グループ、川崎グループ、石川島播磨重工業(IHI)、神戸製鋼所などと親しい。それら企業に働きかけて、合併に反対するよう要請した。

 ところが、これがピリッとしない。

 たとえば古河グループだと、古河鉱業(現・古河機械金属)だと三菱金属(現・三菱マテリアル)が同業者だから、合併後の銀行が三菱金属をヒイキにすることが目に見えている。当然、合併には反対だ。一方、古河電気工業には、三菱グループに当時は同業者がいないので、むしろ三菱グループ企業と仲良くなるチャンスだ。一も二もなく大賛成だということになる。

 つまりは、それぞれの企業が合併後の取引をシミュレーションして、賛成だ、反対だと言い出して衆論一致せずの状況に陥ってしまったのである。

 そこで、井上は次々と手を打った。支店長たちに反対の声を上げさせ、総会屋に声をかけて役員に圧力をかけた(今でこそ総会屋との付き合いは御法度だが、当時はまだ株主総会を円滑に行うために総会屋との付き合いが珍しくない時代だった)。

 こうして第一銀行は行内不一致で大混乱に陥り、1月13日には合併を撤回してしまう。合併発表の1月7日からまだ1週間もたっていなかった。責任を取って、長谷川は辞任、井上が頭取に復帰した。

「読売新聞」がスクープしなかったら、長谷川が折を見て井上に合併話を耳打ちして、どうにか合併できたかも知れない。スクープがつぶした世紀の大合併である。この一連の騒動は、高杉良の経済小説『大逆転!』(講談社文庫)のモデルになった。

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1980年に単行本化された高杉良の小説『大逆転! 小説三菱・第一銀行合併事件』(写真は講談社文庫版)

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