『紅白歌合戦』米津玄師は出場、KAT-TUNは政治的事情で…「出てもおかしくなかったのに出られなかった人たち」

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KAT-TUN「ミリオンセラーなのに、年間1位なのに、ジャニーズなのに出場ナシ」

 オリコン年間チャート1位の大ヒット曲を出し、さらに“ジャニーズ事務所所属”という好条件を背景に持ちながら、なぜか出られなかったのが2006年のKAT-TUNだ。彼らのデビュー曲「Real Face」はミリオンセラーとなり、オリコン年間チャート1位に。だが、『紅白』には選ばれなかった(以後も1度も出場ナシ)。

 ここで注目したいのが、この年のジャニーズ事務所所属の『紅白』出場者だ。なんとSMAPとTOKIOのみ。一方で、ほかに、w-inds.、WaTという非ジャニーズ(だけど大手プロ所属)の男性アイドルユニットが2組も出場している。こうした点からも、KAT-TUNの不出場は、なんらかの政治的事情によると考えられる。

 ジャニーズ枠が増枠されたのは、上記2組に加え、嵐(デビューから10年後)、NYC boys(シングルを1枚出しただけ)が初出場した2009年から。以後も、ジャニーズからの『紅白』出場者は必ずしもその年のCDセールスやネームバリューとは一致していない。

 V6はデビュー20年目の2014年にようやく出場。近藤真彦が唐突に出場し、過去の曲でトリを務めたこともあった(2015年)。KinKi Kids(ゲスト出演あり)、タッキー&翼、NEWS、A.B.C-Z、Kis-My-Ft2、ジャニーズWESTは1度も出場していないが、一方で、目立ったヒット曲がない年でもTOKIOは出ていた。

「『紅白』より大晦日に行われる、カウントダウンコンサートを重視しているからだ」という説もあるが、2015年には7組も出場し、2018年も5組の出場なので、いまひとつ説得力に欠ける。

 これはもう、「ジャニーズ勢の『紅白』出場に関しては、ジャニーズ側の事情がいろいろある」とだけ考えるのが正解だろう。

KAT-TUNから子門真人、南野陽子まで!『紅白歌合戦』に出てもおかしくなかったのに出られなかった人たちの画像2

2006年に発表されたKAT-TUN「Real Face」(J-One Records)

わらべ「年間1位なのに、瞬間視聴率を稼ぎそうなのに出場ナシ」

 1980年代前半、コメディアンの萩本欽一は3つのテレビ局にそれぞれゴールデンタイムの冠番組を持っていた。そして、「欽ちゃんファミリー」と呼ばれた各番組のレギュラー出演者たちは、次々にレコードをリリース。そのうち何曲かはオリコンベスト10入りするヒット曲となった。

なかでも、『欽ちゃんのどこまでやるの!?』(テレビ朝日系)から生まれた、かなえ(倉沢淳美)とたまえ(高橋真美)によるユニット・わらべの『もしも明日が…。』は、1984年の年間チャート1位に輝いている。当時のトップアイドル・松田聖子、中森明菜、チェッカーズよりも売れたのだ。

 この曲は関根勤、小堺一機、見栄晴ら共演者もコーラスとして参加しており、当然、視聴率男・萩本欽一の応援出場も考えられただろう。いかにも瞬間視聴率を稼ぎそうな要素に満ちていた。だが、わらべの『紅白』出場はなかった。

 前述のように、その時代はまだNHKは民放色の強いものを敬遠する傾向があったのだ。ちなみに、1980年代中頃のアイドル界を席巻しながら、フジテレビの広告塔的存在だったおニャン子クラブも『紅白』とは無縁だ(解散後に工藤静香が出場)。

 ところが、その後の『紅白』はむしろ、民放のフンドシで相撲を取るというスタンスに急旋回していく。

『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』(日本テレビ系)から生まれたポケットビスケッツ&ブラックビスケッツ (1998年)、『とんねるずのみなさんのおかげでした』(フジテレビ系)から生まれた野猿(1999〜2000年)、『ワンナイR&R』(フジテレビ系)から生まれたゴリエ (2005年)、『クイズ!ヘキサゴン』(フジテレビ系)から生まれた羞恥心 with Pabo(2008年)など、民放色が強いというより、民放そのものの面々を積極的にステージに上げている。これは、上述した「ご意見を伺う会」の消滅が影響しているのかもしれない。

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1983年に発表されたわらべ「もしも明日が…。」(フォーライフミュージックエンタテインメント)

子門真人「AKB48でも敵わない、史上ナンバー1ヒットを歌ったのに出場ナシ」

 日本のポピュラー音楽史におけるさまざまな記録を塗り替えたAKB48が、今のところ抜くことができない、おそらく今後も抜くことが難しいのが、1枚のシングルの通算売上枚数記録である。

 1975年に子ども向けテレビ番組『ひらけ!ポンキッキ』(フジテレビ系)のオリジナル曲としてリリースされた子門真人の「およげ!たいやきくん」は、発売当初から社会現象となり、オリコン11週連続1位、売上457.7万枚というウルトラスーパーメガヒットとなった。

 だが、NHKは史上最大のヒット曲を歌った子門真人を『紅白』に呼ばなかった。これもやはり、民放番組から生まれたことが足を引っ張ったと考えられるが、当時NHKはそれを否定している。

 今のNHKなら間違いなく、その年の欠かせない目玉として出場を要請しただろう。

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1975年に発表された子門真人「およげ!たいやきくん」(ポニーキャニオン)

石井明美「年間1位なのに、大手事務所所属なのに出場ナシ」

 その年を代表するヒット曲があり、テレビ出演に消極的でもないのに、選ばれなかったアーティストは決して少なくない。「3年目の浮気」(1982年)のヒロシ&キーボー、「翼の折れたエンジェル」(1985年)の中村あゆみ、「SHOW ME」(1987年)の森川由加里、「ロード」(1993年)のTHE 虎舞竜、「ロマンスの神様」の広瀬香美(1993年)、さらに「Lifetime Respect」(2001年)の三木道三など。

 石井明美もそのひとり。彼女は1986年に、テレビドラマ『男女7人夏物語』(TBS系)の主題歌「CHA-CHA-CHA」をオリコン年間チャート1位の大ヒットにした。この曲は翌年春の「第59回選抜高等学校野球大会」の入場行進曲にも採用されている。にもかかわらず、『紅白』には選ばれていない。

 当時のトップアーティスト・中森明菜も所属していた大手事務所に属しており(両者とも現在は移籍)、政治力が弱かったとも考えにくい。NHK的に、あるいは「ご意見を伺う会」的に引っかかりそうな要素を絞り出せば、“「CHA-CHA-CHA」は民放のテレビドラマの主題歌だった”ということぐらいだ。

 とはいえ、この年の『紅白』に初出場し司会も務めた斉藤由貴が歌った「悲しみよこんにちは」は、アニメ『めぞん一刻』(フジテレビ系)の主題歌であり、資生堂のシャンプーのCM曲でもある。また、過去に民放のドラマ主題歌が歌われた例はいくつもある。わざわざ年間最大のヒット曲を外すのは、どうも不可解なのである。

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1986年に発表された石井明美「CHA-CHA-CHA」(CBSソニー【当時】)

さくらと一郎「年間1位なのに、演歌なのに出場ナシ」

『紅白』というと、演歌歌手が優遇されているというイメージを持つ者も多いだろう。実際、ヒット曲がないものの長く出続けている演歌歌手は少なくないし、小ヒット程度でも演歌なら初出場のチャンスが得られることが多いような……。

 まして、年間チャート上位のビッグヒットを出せば、演歌なら限りなく100%に近い確率で出場できるのが昔からの傾向だ。しかし、例外もある。

 2人組演歌ユニット・さくらと一郎は、1975年のオリコン年間チャート1位曲、「昭和枯れすゝき」を歌いながら、『紅白』には出られなかったのだ。

 理由として考えられるのは、歌詞だ。それは、 世間の厳しさに耐えかね無理心中を決意した男女を思わせる、ダークな内容なのである……。大晦日のお茶の間に適さないという判断だろうか?

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1974年に発表されたさくらと一郎「昭和枯れすゝき」(ポリドール、画像は2016年の再発盤)

フィンガー5「国民的アイドルなのに、ヒット曲連発だったのに出場ナシ」

 沖縄出身の5人兄妹ユニット・フィンガー5は、1974年のオリコン年間チャートベスト10内に「恋のダイヤル6700」「学園天国」と2曲を送り込んでいる。沢田研二、西城秀樹、郷ひろみ、山口百恵ら錚々たるメンバーよりも売れていた。

 だが、その年の『紅白』に彼らの姿はなかった。

 その理由は明確だ。メンバーに子どもがいたからだ。メインボーカルである四男の晃は、1974年の大晦日の時点で13歳。その妹である最年少メンバーの妙子は12歳。そして、この時代の『紅白』は21時放送スタート。15歳以下の20時以降のテレビ出演は、労働基準法の面で問題があったのだ。

 ちなみに、1970年のオリコン年間チャート1位曲「黒ネコのタンゴ」を歌った皆川おさむ(当時7歳)も、『紅白』には出場はしていない。

 その後、放送開始時刻は19時台に繰り上がり、15歳以下でも問題なく出場できるようになった。2008年には大橋のぞみが当時の史上最年少の9歳で出場。2011年に芦田愛菜と鈴木福が共に7歳で出場し記録を更新した。

 ただし、1988年の『紅白』(21時スタート)には15歳以下のメンバーがいた光GENJIが出ており、“15歳以下は労働基準法云々”が曖昧なもので、自主規制的なニュアンスが強いことがわかる。

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1974年に発表されたフィンガー5「恋のダイヤル6700」(日本フォノグラム【当時】)

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