コミケは差別と対峙できるか? ヘイトスピーチへの反対表明すら「表現の自由」を掲げ抵抗する声の大きな人たち

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2. 「表現の自由」論壇とは

 漫画やゲームなどにおいては、特に韓国人や在日コリアン、そして中国人などへの差別的な表象が描かれ、問題視されることがあります。しかし、漫画・アニメ・ゲームに関する界隈において、反ヘイトスピーチ以上に敵視されているものがあります。その代表として、フェミニズムが挙げられます。社会のあらゆるところにおいて、アニメ風のイラスト、特に若い女性のイラストが企業や公共セクターのものに使われることが多くなる中で、それらの表象が、女性の特定のイメージを過度に強調しているという指摘が何度かなされています。

 そのような傾向に対して、漫画やアニメなどの「表現の自由」を求める人たちは、「フェミニストは現実の女性の問題には声を上げず、漫画やアニメ、そしてそれらを嗜好する自分たち〈オタク〉のような弱い人たちばかり狙っている」という認識が示されることがあります。

 例えば、漫画家の北崎拓は、『SPA!』における女子大生特集への抗議の署名や、アイドルグループ「NGT48」における暴行事件が多く注目を集めていた時期の2019年1月13日にあって、「普段絵に描かれた女体を心配してくれてる面々は、実際のアイドル暴行事件には興味はないのかな…… #いや答えは聞いてないです」と書きました(https://twitter.com/takukitazaki/status/1085033872167862273 の引用ツイートからの孫引き)。またライターののざわよしのりも、このツイートに反応して《漫画やアニメの2次元キャラは反撃してこないけど、現実世界の人は言い返してくるから嫌だとか、そーいうのでは》と述べており、女性の表象に関して批判してくる人を、一方的な攻撃と決めつけています。

 これについて北崎は《と同時に一晩経っても自分の観測下ではまだ怒っている層は少ないと感じ、日頃被害者もいない漫画・アニメには厳しい言論が飛び交うのに…という創作側からの苛立ちが/事件に絡め揶揄めいた物言いをさせた事は認めます。/そしてそこに不快を感じた方々には謝罪いたします。/事件が被害者の方に良い形で解決する事は当然祈っております。》と《自分の観測下》のことであることを認めています。

 もうひとつ例を挙げると、この『SPA!』への女子大生の抗議に対して、「表現の自由」をめぐって長年活躍してきた弁護士の山口貴士は、《平成最後の年になっても、「女性=貞節であるべき」という価値観を無意識のうちに内面化しているおじさん/おばさん保守が多いこと、しかも、その多くがフェミニストであることに驚いた》と書いています。しかし『SPA!』の特集に抗議した女子大生らの主張は、セクハラや性被害を「ネタ」として消費されることへの反対だったはずです(竹内郁子「SPA!「女性をモノ扱いしていた」と女子大生らに直接謝罪。声あげる組織立ち上げ」)。

 残念ながら、「表現の自由」を掲げる論客は、こういった性被害の取り上げられ方や女性に関する表象への批判に対して、「旧来の貞操概念に固執している」というような、むしろ旧来の貞操概念を前提にした男性有意的な価値観や表象に対する批判であるのにそれらを唾棄すべき旧来の価値観として叩いているのです。

 このような「表現の自由」論壇と反フェミニズムの関わりをしめすもう一つの事例として、ライターのテラケイ(「白饅頭」とも。2018年11月の商業出版を契機に「御田寺圭」という名前も使う)と、「オタク文化の味方」であることを標榜してきた元大田区議の荻野稔によるイベント「おぎの白饅頭」があります。このイベントの一部の会は、「コミケの3日目の前日」に開催されます。

 コミケ3日目というのは、主に男性向け創作や評論などといった、男性がメインの消費者である同人誌が中心の日です(ちなみに私は評論として出展することが多いので3日目によく出ます)。コミケ95の「3日目の前日」には行われていませんが、私は、その前のコミケ94における「3日目の前日」(2018年8月11日)に開催されたツイートを、フリーの統計ソフト「R」のパッケージ「twitteR」を使い、ハッシュタグ「#おぎの白饅頭」のついたツイートをAPI検索で取得しました。そしてリツイートされた数で並べたのが表1になります。

コミケは差別と対峙できるか? ヘイトスピーチへの反対表明すら「表現の自由」を掲げ抵抗する声の大きな人たちの画像2

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 表1の中には、「男女共同参画センターがあるから(オタクよりは)フェミニストは権力を持っている」という、なぜ「男女共同参画」を推進する政策が求められているのかを無視した発言や、「後からセクハラと糾弾されて、初めてセクハラが確定する」という、セクハラ批判を「一方的な自分たちへの糾弾」と認識する発言などがあり、それが次々とリツイートされているのがわかります。

 ちなみに荻野は《我々は何ものも拒まない だから我々から何も奪うな》と言いますが、少なくとも荻野らが意識している男性向けコンテンツを消費する層が、女性やフェミニストが表現の場を奪ったということが多くあります。例えば2014年に、ボーイズラブ表現を「自重ルール」に縛られず遠慮なく出していこうということを「腐女子テロ」と呼んだり、2018年の初頭には女性が性暴力や性差別に苦しまない空間としての「女性だけの街」が欲しいと言ったことに対して集中的にバッシングを浴びせたというのがその一例です。

 ヘイトスピーチに対する「反対への反対」も、このようなフェミニズムへの反発の延長上にあります。先のコミケ準備会によるレポートと張り紙への見解が出された後も、「(後藤含む)批判者の最終的な目的は、あらゆることをヘイトスピーチと認めさせて、コミケを潰すことだ」という言説が出てきました。しかしそれは自分が差別の加害性について、そして自分が差別者になりうることを考えず、自分こそが〈真のリベラル〉であるという思い込みに定住したいという欲望から出される行為に過ぎません。

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