松本人志はなぜ炎上“被害者”になり、面白い表現への挑戦をやめてしまうのか

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松本人志はこの騒動に逆ギレ

 しかも、松本はこの一件からすらも何も学ぶことはなかったようだ。あくまでも自分は炎上被害者、との立ち位置を崩さず、炎上=つまらない奴らのクレーム、ぐらいに捉えていることが次の言葉からわかる。

 これからタレント活動をしていくうえでの自身の発言について松本は、<炎上はね、この先も僕はしていくと思うんです。これはもうしょうがない。で、炎上で得られるものもあるし。『なるほどなって、こんな大火事になるんや』。で、大火事になったときに本当に大切なものが見えてくるし、もち出して逃げなあかんものが何なのかも分かるし>としたうえで、語気を強めてこのように叫んだのだ。

<こういう時に消火器を持って駆けつけてくれる人がよく分かるしね!>

 性差別をはじめとした問題発言を繰り返しても松本が問題なくレギュラー番組を続けていけるのは、ひとえに彼が芸能界のなかで多大な権力を握っているからである。

 そろそろ、自分自身の置かれているその状況を批判的に見つめ直さなければならない時が来ているのは間違いないが、<こういう時に消火器を持って駆けつけてくれる人がよく分かるしね!>という叫びは、この状況になってなお、「俺の意見に従わない人間は干すぞ」という圧力として機能してしまう。そのことにさえ未だ無自覚だ。

 確かに、その姿勢では、これからも炎上は続いていくだろう。

芸人の「コンプライアンス批判」に正当性はあるか?

 そして松本はお決まりの「コンプライアンス批判」をもち出した。

<それなりに親しくても、テレビに出た時はもうちょっと固っ苦しくしゃべらなあかん世の中になってきたのかな>

 <お得意の身体を使ってなんかするとかさ>という発言はそもそも、カメラの前であろうと楽屋であろうとひどい侮蔑発言であると思うが、それでもテレビの前で発言することがさらに許されないのは、テレビでの発言には、会話の相手以外にも、視聴者という第三者がいるからだ。

 松本がテレビを通じて女性蔑視的な発言を行い、それにスタジオの出演者が異議申し立てをしないような状況がお茶の間に流れれば、そのようなコミュニケーションのあり方が「許される」ものであるとのお墨付きを与えてしまう。

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